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ロシア~アネクドートで笑う歴史 №97 [文芸美術の森]

エピローグ 2

             早稲田大学名誉教授  川崎   浹

風刺という妥協

 ロシアでも現代アネクドート論を展開している学者は、私が知るかぎり皆無なので、すべては私の推論にすぎないが、レーニン、スターリン時代から、「雪どけ期」、「停滞の時代」、ペレストロイカ、ポスト・ペレストロイカ時代をへて、明らかにアネクドートの質は変化している。
 スターリンの独裁と弾圧が俄烈をきわめた一九三六~三七年を中心とする前後の一定の時代には、アネクドートは痕跡を恐れてたちどころに闇に消えただろうし、アネクドートの発生する可能性がもっとも制限された時期だと思われる。スターリンについてのアネクドートを検討する際には、それがいつ、どのような内容で生じたかが問題になる。
 キーロフ殺害事件のアネクドートは、時間的に事件の発生と密着していることが、作品の緊迫性から推定できる。あり得ることとあり得ないこと、つまり存在と非存在の境界すれすれの線上で成立するスリルが、ここにはあった。これにくらべて、スターリンとチャーチルが飛行幾で小悪魔に遭遇するアネクドートが民話的で、ひどくユーモラスなのは、ルーズベルト、チャーチル、スターリンらが終戦処理を協議したヤルタ会談(一九四五年)後の一時期、弾圧と戦争の緊張から解放された社会の作品だからである。
 恐怖の対象そのものにはかならなかったために、アネクドートで扱いかねたスターリンが、ユーモアという余裕をもつ枠のなかで復活するのは、主として彼の死後、市民が独裁者に呪縛されなくなって以後のように思われる。
 つづくフルシチョフ時代に社会的規制が緩和されると、アネクドートはそのぷん羽根をのばした。民衆は自分たちの生活感覚で政策のよしあしを判断するので、経済的にめぐまれぬ民衆は、自由になっただけアネクドートで思いのたけをのべ、ついには切手のフルシチョフに唾をはくまでになる。
 この間、従来どおりに、ユダヤ人の町オデッサと、辺境の文芸都市アルメニアのアネクドートがソ連中に電波や口コミで放出された。ここから発信されたアネクドートには傑作が多い。
 六〇年代後半から八〇年初めまでつづくブレジネフ時代は、アネクドートの全盛時代である。ひとまず政局が安定し、店頭の長蛇の列に並びさえすれば最低の生活は保障されている。監視体制はゆるまなかったが、弾圧や制裁も以前のようではなくなった。亡命作象のアレクサンドル・ジノビエフは、民衆がソ連体制を憎んでいたとばかり見るのは誤りで、彼らは体制をそれなりに容認し、妥協の道を見いだしていたと指摘している。
 体制に順応しながら、市民はアネクドートの風刺で妥協しようとしている。少なくとも結果的にはそういえる。というのは、体制に妥協しなかった反体制派は収容所に入れられるか追放されるかしたからである。
 それでもなおブレジネフ政権末期のころ、民衆の不満は爆発寸前まできているという風評だけはあった。革命は起こさないほうがいいという外からの亡命者(ソルジニーツィンら)の呼びかけすらあった。というわけで市民は耐乏生活を強いた体制の維持者に向けて、攻撃という風刺の的をしぼった。しかし、ブレジネフはどこかとぼけた表情で得をしたようだ。市民たちから愚弄されているにもかかわらず、アネクドートのブレジネフはどこか愛嬌があり、ユーモラスである。
 この時期のアネクドートはとどめの切っ先が鈍くなったが、よりユーモラスで娯楽的になり、もちろん発信の環境は厳しいとはいえ、市民が隠れて食堂でスリリングなコミュニケーションを楽しんでいるという風景が浮かびあがる。


『ロシアのユーモア』 新潮社選書


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