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多摩のむかし道と伝説の旅 №20 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

[下流域:浅間橋から四谷大木戸まで暗渠の玉川上水路] 2
                   原田環爾

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20-1.jpg 甲州街道沿いに進み東放学園をやり過ごし街道の南側へ回ると世田谷区に入る。代打橋まで来ると幅2mばかりの上水が開渠となって姿を現す。橋の袂にはかつて水場屋があったという。京王線代田駅のガードをくぐると「ゆずり橋」があり、そこから先は再び暗渠の緑道となる。

代田橋から笹塚、幡ヶ谷辺りまでの上水路は南側に大きくW字状に湾曲する。環七通りを横切ると渋谷区の笹塚に入る。稲荷橋からは上水は再び開渠となって姿を現す。笹塚駅前を除き笹塚橋辺りまで約200mに20-2.jpgわたって開渠となっている。淀橋浄水場が閉鎖されて暗渠化されることになった時、地元笹塚小PTAの人たちが上水の景観を惜しんで開渠として残す運動をしたと聞く。笹塚橋からは再び世田谷区に入る。
 都道420号線を横切ると上水路は大きく左へ曲がるとともにこんもりと樹林で覆われた道に変貌する。消防学校を右にやり幡ヶ谷駅近傍の新20-3.jpg台橋までくると、旧水路の蛇行は終わり甲州街道に並行するようになる。初台駅横を通り山手通りを横切り十二社通りに出ると、左手には西新宿の超高層ビル群がそびえ立つ。暗渠の上水路は十二社通りを横切って約400m進んだ所で甲州街道に合流するが、合流点にある文化学園の手前で延々と続いた上水緑地は終了する。
 ちなみにかつての淀橋浄水場は十二社通りを少し進んだ所にある新宿中央公園一帯にあった。東京都庁の北隣りにある新宿住友ビルは、浄水場の遺構である赤煉瓦の壁に囲まれた空間の中に建っており、その一角に淀橋浄水場で実際に使用されていた内径1mの巨大な蝶型弁とパネルが記念碑として展示されている。
 甲州街道を進み中央線を跨ぐ陸橋に入る。新宿駅南口を左に見て坂を下り、新宿高校を過ぎると新宿御苑の新宿門前に来る。その先の甲州街道はやゝ狭くなって新宿御苑の北縁に沿って四谷四丁目の交差点へ向かう。この20-5.jpg20-4.jpg狭い街道こそ旧甲州街道でかつての内藤新宿のあった所だ。上水路は新宿御苑と旧甲州街道の間の散策路付近を流れていた。散策路は鬱蒼と樹林で覆われた道で、近年ここに上水路の復活工事が行われ、平成22年の春『玉川上水・内藤新宿分水散歩道』の名称で公開され、かつての上水の流れを彷彿とさせる景観がよみがえった。約500mの散策路を抜けると大木戸門前で、そこに都水道局新宿営業所のビルがある。かつてここに水番所があった。ビルの裏が玉川上水43kmの終端で、その一角に四谷大木戸跡碑と水道碑記、水番所跡であることを記した由緒書が立っている。この先上水は万年樋という石樋や木樋で江戸市中に流された。
20-6.jpg 玉川上水の終末は新宿御苑の外縁になるが、御苑内にも上水に関わる遺構がある。それは大木戸門から苑内に入ること約100mの所にある日本庭園の玉藻池だ。信州高遠藩主内藤家の下屋敷であった安永元年(1772)、上水の吐水を利用して屋敷内に玉川園と称する庭園の一部として池を造った。それが現在の玉藻池である。吐水とは四谷大木戸の水番屋の脇に吐水門があり、大雨が降ると水が増えたり濁ったりするので、吐水門を開けて余水を渋谷川に流していたものであるが、玉藻池はその吐水を池にひいたものである。ちなみに新宿御苑の東縁にはその吐水を流した堀割を今も見ることができる。


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