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論語 №67 [心の小径]

ニ一〇 子匡(きょう)に畏(おそ)る。のたまわく、文王(ぶんおう)既に没して文(ぶん))ここに在(あ)らずや。天の将(まさ)に斯(こ)の文を喪(ほろぼ)さんとするや、後に死する者斯の文に与(あずか)るを得じ。天の未だ斯の文を喪さざるや、匡人(きょうひと))それわれを如何。

                 法学者  穂積重遠

 「匡に畏る」は、後に出てくるが(二七五)、孔子様の一行が衛(えい)を去って陳蔡(ちんさい)方面に向かう途中(二五五)、匡という土地で遭難したこと。「畏」は畏るべき事件にあったということで、孔子様がこわがられたというのではない。伝説によれば陽虎(四三二)が匡で乱暴したことがあったので、匡人が今度来たらばと手ぐすねひいて待ちかまえていた。そこへ一行が通りかかったところ、孔子様の顔形がたまたま陽虎に似ていたので、匡人が兵をもってこれを囲むこと五日だったという。孔子様がそんな大悪人に似ているはずがないという議論もあるが、そんなに気にすることもなかろう。曾呂利新左衛門の言い草ではないが、孔子様が陽虎に似ていたのではなく、陽虎が孔子様に似ていたのだ、ということにしておこう。
「文」は道の形にあらわれて文をなすもの、すなわち札楽制度、「後に死する者」はすなわち「後に生るる者」であって、ここでは孔子様自身。

  孔子様が匡で大難にあわれたとき、おっしゃるよう。「文王がなくなられた後、その
名に負える文はこのわしに伝わっているとは知らぬか。もし天がこの文をほろぼそうというおつもりならば後に生れたわしがこの文に参与することはできなかったはずである。もしまた天がまだこの文をほろぽさぬおつもりならば、文の代表者たるこのわしが殺されることなどは断じてあり得ない。匡人ごときがわしに指一本でもさせようや。」

 「桓魋(かんたい)それわれを如何」(一六九)とともに、孔子様の毅然たる大勇を私たちの眼の前に活き活きと出現させる。

ニ一一 大宰(たいさい)、子貢(しこう)問いていわく、夫子は聖者か、何ぞそれ多能なるや。子貢いわく、もとより天これを縦(ゆる)して将に聖ならんとす、又多能なり。子これを聞いてのたまわく、大宰われを知れるか。われ少くして賎(いや)し。故に鄙事(ひじ)に多能なり。君子多(た)ならんや、多ならざるなり。牢(ろう)いわく、子云えり、われ試(もち)いられず、故に芸(げい)ありと。

 「大宰」は官名、大官らしい。名はわからない。「牢」は門人子張の名、姓は琴(きん)、子張は字(あざな)だが、子開という字もある。

 大宰某(なにがし)が子貴に向かって、「先生はなるほど聖人でもあろうか、何と多能なことよ。」と言ったので、子頁が「先生は元来天の許せるところでほとんど聖人の脇に達しておられ、その上に多能であられます。」と答えた。孔子様がこれを聞いておっしゃるよう、
 「大宰はわしのことをよく知っておられる。わしは若い時賎(いや)しかったので、つまらぬことに多能なのじゃ。元来君子の君子たるゆえんが多能なことであろうか。否、君子はけっして多能でない。」それについて子張も言った。「先生が、わしは世の中に用いられなかったので多重になったのじゃ、と言われたことがある。」

 大宰は多能だから聖人だと思い、子頁は、聖人であることと多能であることとは別問題だが、先生は聖人にしてかつ多能なのである、と述べ、孔子様は、謙遜と同時に多芸多能はけっして聖人君子たるゆえんにあらざることを語られたのである。

『新薬論語』 講談社学術文庫

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