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フェアリー・妖精幻想 №101 [文芸美術の森]

仮面劇。シェイクスピア、バレエ、オペラ

             妖精美術館館長  井村君江

シェイクスピアの劇「夏の夜の夢」と「嵐」 3

 後に幼児の舞台出演が禁止になってくるとそのかわりが工夫され、一つの方法として棒使い人形(ペプサート)を使って、「からし種」や「豆の花」などの妖精の小ささと身軽さとを強調させたりした演出がある。人形ははっきりと超自然的な存在を示すことが可能であり、また何体かの同じパックなどの人形を用意し、素早さを出すことも可能で面白い効果が出る。しかし生命を通わせた演技ではないので、人間とのからみに工夫がいるようであった。
 また、舞台装置や小道具、すなわちクモの巣を舞台全体にはりめぐらし、またはキノコや花を大きくすることによって、それとの対照で人間の大きさを小さくみせたりの工夫がなされている。
 一九八六年のビル・アレキサンダー演出によるストラットフォードでの舞台がそれであった。人間の背の高さよりも高い草の葉末に光るボールのような露の玉や、腰かけられるほど大きい松ぼっくりの間を妖精たちが飛びまわるさまは、妖精王国そのものが現出したような印象を与え、観客席にいるわれわれもまた下草の中にいる気分にひき込まれた。
 『嵐』では魔術師プロスベロの使魔エアリエルは、人間たちの間で活躍する唯一人の妖精であるため、妖精王国を背景にもたず、そのためもあってか、これまでの舞台で演出家の解釈によって、実にさまざまな容姿、服装で登場させられている。
 例えば、一九五七年ジョン・ギルグッド扮するプロスベロに対するブライアン・ベッドフォードのエアリエルは、全身を葉脈が入った葉のような薄い緑のタイツをつけていたかと思えば、一九七〇年のイアン・リチャードソン扮するプロスベロに対するベン・キングスレーのエアリエルは、腹部に苔のかたまりをつけているだけでほとんど全裸であった。
 またギルグッドのプロスベロの名演技で知られるオールド・ビック・シアターの一九七四年のピーター・ホール演出の舞台では、マイケル・フィーストがエアリエルを演じたが、純白のつめ襟とタイツの衣装が端正な顔に似合う、精霊らしいエアリエルであった。
 一九八二年のデレック・ジャコビ扮するプロスベロに対するマーク・リランスのエアリエルは、裸身を強調するようにタイツの上に動脈と静脈を模様のようにからませ固めた白い髪を立たせた姿で、身軽に宙を飛ぶように消えたり、太鼓で曲を奏で、また歌ったりして魅力的であった。
 これと対照的な演出で、フリルのついた襟飾りをつけたエアリエルがまるでプロスベロの分身のように付き添ってあまり動かず、その意思通りに行動するというエアリエルの演出もある。
 一九八八年のストラットフォードの舞台は、ジョン・ウッド扮するプロスベロに対してダンカン・ベルがエアリエルで熱演であった。上半身は裸で葉っぱのような薄いズボン姿のエアリエルが、ワイヤーをつたって天井から登場する演出で、身のこなしも軽く、超自然的存在の感じがよく出ていた。それに対するプロスベロが魔術者で、魔の島の支配者というにはあまりに現実的な衣装と演技であったため、この時は両社の間にこうつうの魔術空間の広がりがないように思えた。
 現代の額縁舞台(プロセニウム・ステージ)のように、幕という第四の壁で観客と隔てられ、遠くにおさまっている空間ではなく、エリザベス朝時代の劇場空間は、張り出した舞台(エプロン・ステージ)と、中舞台に柱やバルコニーやカーテン付きの楽屋が中央にあり、その天井の「天国」や奈落の「地獄」があって、立体的に舞台を使えた。たしかにこの方が妖精という超自然の生き物たちが神出鬼没、変幻自在に活躍できるにふさわしい舞台空間であったように思われる。


『フェアリー』 新書館

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