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いつか空が晴れる №51 [雑木林の四季]

      いつか空が晴れる
             -名残の橋づくしー
                   澁澤京子

 初めて歌舞伎を観に行ったのは子供のとき、祖父母や母と一緒に歌舞伎座に観に行ったのが最初だと思う。どんな演目だったのかはさっぱり忘れたけど、幕間に食べに行った幕の内弁当がおいしかったこと、母が祖母と「歌右衛門ですよ、やっぱりきれいですねえ・・」という話をしていたこと、紅い着物の、おばあさんだか若い娘だかわからない白塗りのお姫様は、美しいというより、なにかとてつもなく異様な感じがした。いまだにはっきりと紅い着物と白塗りの長い顔が脳裏に残ってることを考えると、歌右衛門はやはりすごい名優だったのだと思う。

高校から大学の頃は、日本舞踊に熱心な妹につきあってよく歌舞伎を観に行った。ちょうど玉三郎・片岡孝夫ブームのころで、玉三郎の鷺娘は息をのむような幻想的な美しさだったし、二人の共演した四谷怪談は迫力あって途中、思わず両手で目を押さえるほど怖いシーンがあった。
歌舞伎・文楽は面白かったけど、ひたすらに一途で純情な女に比べると、男のほうは、すぐにヨヨと女と一緒になって泣くような情けない優男が多くって、他にもぜひにと身受け話があるほど魅力的な女なのに、よりによってどうしてこういうしょうもないような男の人に命を懸けたりするんだろうと、若い私は不思議に思っていた。まだ若い私には恋愛というものがどういうものなのかがわかっていなかったのだ。

クリーニング屋で働いている若い女の子はまだ結婚相手を夢見る年ごろで、条件のいい理想の男の人を探してる子が多い、かと思うと、「ふられちゃった」とか泣いたり、恋しては傷つく女の子も少数いて、どっちの若い女の子も私から見ると可愛いけど、向こう見ずに恋して傷ついたり不安になったりするような若い女の子の方が、私から見ると余計にいじらしく思える。安定を求める結婚と、恋愛ではそもそも方向の全く違うものなのだ。

~元はと。問へば分別のあのいたいけな貝殻に。一杯もなき蜆橋。短きものは我々が。此の世の住(すまい)~
「心中天の網島」の道行の、名残の橋づくし。天神橋、梅田橋、緑橋、桜橋、と観光案内のように大阪の橋が唄われる、この時代は旅がブームだったといわれているけどそのせいか。
~一杯もなき蜆橋~とは、周囲の忠告に聞く耳ももたない治兵衛に、蜆の身ほどの分別もあったなら、という意味だけど、そもそも分別なんかあったら恋愛にならないのだ。
恋愛っていうのは少数の人間にしかできないものなのかもしれない。私たちのほとんどは安定を求めてしまうからだ。そして徹底的に馬鹿になりきれる恋する人の愚かさには、いつも破滅的な哀しさが漂う。


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