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多摩のむかし道と伝説の旅 №19 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

[下流域:浅間橋から四谷大木戸まで暗渠の玉川上水路] 1

                   原田環爾19-1.jpg

19-2.jpg 浅間橋からは暗渠となった高速道下の車道に沿って東へ進む。昭栄公園、浴風会、第六天神社をやり過ごすと環八通りとの交差点「中の橋」に来る。暗渠を流れる水はここで環八通りの地下を水道管を通して北へ向かい、高井戸駅前の神田川に放流されている。交差点を横切ると上高井戸から下高井戸へ移る。身代り不動尊をやり過ごすと程なく甲州街道との合流「上北沢駅入口」に至る。合流点の左斜めに入る緑道がある。玉川上水第二公園と称し、ここより暗渠となった玉川上水の流路を緑道として辿ることができる。
 緑道に入ってすぐの右手甲州街道沿いに慶長初年の頃創建された宗源寺と称する日蓮宗の寺がある。境内には高井戸の地名の起源と言わ19-3.jpgれる「高井堂」と呼ばれる不動堂がある。昔、下高井戸に高井山本覚院という真言宗の寺があった。19-4.jpg寺には不動を祀るお堂が高台にあったことから「高いお堂の不動様」と呼ばれた。 高井戸村の名もここからきたといいます。ところが明治初頭、廃仏毀釈と本寺の府中妙光院が火災で焼失したことで支援を失い荒れ果てていた。ある日境内地に住むかご屋の梅が右腕が痛くて困っていた。すると夢枕に不動様が現れ「わしを粗末にするからだ」と告げた。翌朝お堂を調べると不動の剣を持つ右腕が床にころがっていた。そこで仏師に修理してもらうと腕の痛みがとれた。このご利益が噂を呼び世田谷村から高額で譲り受けたいとの話があった。ところがその夜梅の夢枕に不動が立ち「わしはこの土地を離れたくない」と告げた。そこで村人たちが相談した結19-5.jpg果、たまたま堂内に近くの日蓮宗の宗源寺の山門の額があったことから、これも何かの縁と考えお堂ごと不動を宗源寺に移すことにした。高井堂不動と呼ばれ今も多くの信者に信仰されているという。
 やがて永福通りが甲州街道にぶつかる丁字路「下高井戸駅入口」に来る。旧水路跡には古びた下高井戸橋がある。通りを横切ると永泉寺緑地と呼ぶ鬱蒼と樹木で覆われる公園となる。ただ永泉寺と呼ばれる19-6.jpg寺は既になく、近くに永昌寺という似た名の寺があるだけだ。永泉寺緑地付近は上水の開削工事が資金難で一時中断を余儀なくされた所と伝えられている。

19-7.jpg これにはこんな伝説がある。かつて永泉寺という寺の薬師堂に白い玉石がご神体として祀られていた。上水の完成にはその玉石の力があったと伝えられる。玉川兄弟の開削工事は軌道に乗り始めたが、2度の失敗が響き上高井戸宿を過ぎたあたりで幕府から拝領した工事代金六千両をすべて使い果し、工事は一時中断となった。資金繰りのため、屋敷や家財道具の処分など私財を投げ打つとともに、江戸の富裕な町人に資金援助を求めた。しかし資金を提供してくれる人はなく途方に暮れていた庄右衛門が、夜の12時過ぎに下高井戸の工事現場でぼんやり見ていると、堀の先の土の中に白く輝くものがある。そこで清右衛門に掘らせたところ直径10cmの玉石が出てきた。上水堀から玉石が出てきたという噂はたちまち江戸中に知れわたり、お陰で工事への協力が相次ぎ必要な資金が集まった。庄右衛門は日頃信仰している薬師様が玉石になって助けてくれたと思い、お堂を建て玉石を祀り朝夕工事の完成を祈った。やがて上水は完成した。その後の玉石薬師は病にも効くと評判になり、享保4年には薬師堂を守る永泉寺が建てられ隆盛した。しかし明治になると寺はさびれ、近くの永昌寺に吸収され廃寺となった。今はわずかに下高井戸の旧水路跡に永泉寺緑地の名を残すのみである。
 築地本願寺和田堀廟所の墓苑をやり、明大和泉校舎を過ぎると甲州街道を離れ、切通しの井の頭線を跨ぐ跨線19-8.jpg橋となる。上水路は跨線橋に接して2本の巨大な水道管となって線路を跨いでいる。程なく井の頭通りに出る。筋向いに大きな2基の貯水タンクを設置した都水道局和泉給水所がある。旧水路跡の緑道は途切れ、この先の代田橋まで流路を見ることはできなくなる。

 ところで和泉給水所付近の上水路は明治以降複雑に手を加えられて19-9.jpgいる。水道事業の近代化政策により明治31年、西新宿に淀橋浄水場を建設し、併せて玉川上水の水路も現和泉給水所付近で分岐させ、淀橋浄水場へ直線的に向かう新水路を建造した。旧水路が尾根道を流下させる工法を採っているため、代田橋から幡ヶ谷辺りにかけての水路は大きくW字状に蛇行しており、これを避けるため分岐させて流路変更したのであろう。しかし大正12年の関東大震災で新水路は破損し復旧まで旧水路を使った。江戸時代の旧水路は無事に機能したという。その後、昭和12年現和泉給水所から淀橋浄水場まで甲州街道直下に導水管を設置して新水路は廃止になった。かつての新水路跡は埋め戻されて道路となり、一部は緑道として残されている。


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