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フェアリー・妖精幻想 №100 [文芸美術の森]

仮面劇、シェイクスピア、バレエ、オペラ

            妖精美術館館長  井村君江

シェイクスピアの「夏の夜の夢」と「嵐」の舞台 2

 オベロンとパック役は現代の舞台ではおおむね男優が演ずることが多いが、女優が演じたものとして特筆すべきは、一八四〇年のコヴェント・ガーデンの公演でルシア・ヴェストリス夫人(一七九七-一八五六)が演出し、自らもオベロンを演じた舞台である。
 テキストは原作に忠実(四〇〇行だけカット)であったが、オペラの要素をふんだんに取り入れ、ヴェストリス自身も歌った。
 このときの曲はメンデルスゾーンの『夏の夜の夢』となっているが、序曲(一八二六)であろうか。全曲(十三曲)は一八四二年になるまで完成していない。
 妖精の従者たちはオベロンをとり巻き、白い透き通るチュールのチュチュを着て群舞をみせる。この歌と踊りと劇の総合芸術のような舞台が後のロマンティック・バレエに大きな影響を与えたようである。
 この舞台でパックはキノコにのって奈落から現われ効果的であったが、後の大女優エレン・テリー(一八四八-一九二八)は八歳のときパック役でデビューし、一八五六年の舞台でヴェストリスのときのように、毎晩機械仕掛けのキノコに乗って音楽と共に舞台に現われたのであった。
 花飾りをつけスカートをひるがえし舞台で軽やかに演技をするエレンのパックに、『不思議の国のアリス』の作者ルイス・キャロルは魅惑され、「非のうちどころのない優美な妖精」と讃歎の手紙を書いた。のちに『妖精シルヴィとブルーノ』を書くとき、あるいはこのエレン・テリーのパック姿、更にはエレンの姉ケイトのエアリエルの姿が重ねられていたかも知れない。このときの舞台の監督はチャールズ・キーン(一八一一-六八)であった。
 上演史の上で見逃せないのは一九一四年サヴォィ・シアターでのバーレイ・グランヴィル・パーカー(一八七七-一九四六)の演出である。張出舞台(エプロン・ステージ)をしつらえ、その奥に紗幕を使って、象徴的に森を構成したうえ、他の色の紗幕で妖精国
を現出させた舞台を作った。
 妖精たちは金のタイツ姿で、直線的な動作で様式的に演じ、パックは真赤な服、恋人たちはインドやカンボジアやトルコ、日本風なデザインも入った東洋趣味(オリエンタリズム)、異国情緒(エキゾチシズム)ゆたかな衣裳をまとった。こうした登場人物たちが表現したのは、妖精界は異国でありこの現実界にはないことであり、趣向はそれを強調させるためのものである。
 オベロンは「スパイスの風薫るインド」から来たことになっているため、現代の舞台ではたびたび上体が裸身に近い、ドーランを塗るスタイルで演じられることが多い。
 シェイクスピアが創りだした妖精の特色ある性質の一つである微小さ、ドングリの穀にもぐり込んだり、バラの毛虫を退治したりする身体の小ささを、どのように舞台で出すかということも演出家がいろいろ工夫を見せるところであろう。
 各時代の演出家によって異るのであるが、一八五〇年のチャールズ・キーンから一八九七年のコンスタンス・ベンソンあたりまで、五〇人位の子供が妖精の役を毎晩舞台で演じていた記録がある。
 この頃、まだ厳しい舞台規制法は出来ていなかった。したがって、四、五歳のあどけない幼児頭や背中に小さなはねをつけたり、足にクモのけづめをつけたりしただけの半裸の姿で、舞台全体に群がり、そのままで演技もせずに天真爛漫な自在な動きで、妖精の雰囲気を示す効果をあげていたのである。

『フェアリー』 新書館

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