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にんじんの午睡(ひるね) №47 [文芸美術の森]

今年の終わり

                                       エッセイスト  中村一枝

 あっという間の年の暮というのが実感である。太平洋側は連日の晴天、陽当たりのいいわたしの家の二階にはすでに春の気配がたちこめている。
 今年もいろいろのことがあったけど、わたしが一番心を痛めているのは、捕鯨の開始。鯨の身になって考えてみると、いままで、平和に静かに暮らしていたのに、いきなり戦争を仕掛けられるようなものである。もともと鯨料理には興味はないが、もし肉がなくて野菜だけの生活になっても不服はない。鯨の料理はおおむかし、三切れくらい口にいれだ。それが最初にして最後。魚の哺乳類と言われ、知能指数も高いのだそうな、牛や豚だって同じ事でしょうと言われれば、確かに感覚的にはそうだけれど、30年しないでいたものを今更ここにきて再開するというのもよくわからない。
 わたしは以前から日本人は心優しく細やかな心情の民族と思っていたが。犬と猫に関しては、まだまだ先進国に劣ることが多いのがとても不満だった。犬猫を愛するにだれにも負けないくらい 熱心なのに未だにのら猫が多いのも不思議。犬の飼い方については、わたしの場合可愛さ余って甘やかす先鋒なので大きいことは言えないが、日本民族は元々農耕民族と言うことも手伝ってヨーロッパあたりの飼い方と違う。犬の飼い方にしても人間の生活と一致するようになったのはごく最近のことである。犬は外でというのが多かった。子供の時から私はそれが不服で、他のことでは満点を与えたい両親なのだが、特に母には犬の飼い方でずっと不満を持っていた。もっとも晩年には母も一緒にソファに座って犬を撫でていたが。鯨に戻るが、捕鯨が伝統的な産業として昔から続いているものにせよ、30年やめて済んでいたものをまたなぜ解禁にしたのか、もし鯨の中に哺乳類クラスの有識者がいたらとは何故考えないのか、とにかく私は納得がいかないこと甚だしい。クジラが増えすぎたというのは言い訳に過ぎない。動物と人間のつきあい方について狩猟民族ではない日本人か色々違うのはわかるが、今そういう違いや矛盾についてもっと人間としての知恵と思いやりを大事にしてもらいたい。
 沖縄辺野古の埋め立て工事にしても鯨と同じように考えて欲しい。海も鯨も命あるものと考えるべきだし、あれほど美しい沖縄の海に無造作に泥を投げ込んでいる姿を見ると、ここまで自然を蔑ろにしている報いがいつか来るのではと恐ろしくなる。神の怒りとか、神の祟りと各地で言いながら、自然の摂理を無視した生き方をどこまで広げるのか。靖国参拝も伊勢神宮参りも良いけれど、いま人間が自然と向き合ってどのくらい自然を尊重しているか、考え直す時が来ているような気がしている。

一年間続けてきた「にんじんの午睡」の題名をもと連載していた「じゃがいもころんだ」に戻したいと思います。やっぱりわたしにはこの方がしっくりくるということ、よろしくお願いします。新年度から前にもましてご支援をお願いいたします。


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