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ロシア~アネクドートで笑う歴史 №96 [文芸美術の森]

金持ちロシア人を嗤う 8

              早稲田大学名誉教授  川崎  浹 

自浄作用

 新ロシア人アネクドートを制作しているのは、もちろん新ロシア人ではなく「旧ロシア人」である。つまりロシア人一般が一億五〇〇〇万人のなかのひと握りの新興成金を軽蔑し、皮肉り、嘲笑、哄笑すること自体に、ロシア人の自浄作用を読みとることができる。ロシア人のおおらかさがあり、愚かさを笑う余裕があり、笑いと風刺の基準が厳然とあることを示している。将来、アネクドートの標的がどのようなものに変わろうとも、嘲笑すべきものを嘲笑する精神とエネルギーを持するかぎり、ロシアの精神は生きつづけるだろう。しかしロシアの再生とアネクドートの盛衰が、今後どのような相関関係をつくるのかは予見できない。
 政治アネクドートや新ロシア人アネクドートの周辺で、従来からあった「艶笑小噺(こばなし)」や日常レベルでの駄酒落や個人的なくすぐりなどがぞろぞろと這いでてきた。アネクドートの主流が政治から新ロシア人に移行する過程で、あきらかにロシアの「沈黙」の解消と緊張感の喪失は、半世紀にわたって養われたジャンルの基準をぐらつかせている。アネクドートはかつての凝縮の美学と格調を失い、日常世間のなかでうやむやとなり、文学ジャンルとしての栄光を失いつつある。
 前述したようにクルガーノフはプーシキンによるアネクドート再興前の状態について、「アネクドートはなにやらふまじめで、皮相なものと見られるようになったので、これを凋落から救いだそうとの試みがおこなわれた」といっていた。
 たしかに現在、文学ジャンルとしてのアネクドートの将来は具体的には見えてこないが、他方でかつてのアネクドートの傑作を収集、整理し、アネクドートの質の基準を問い、それらを厳密に研究することで、アネクドートを「皮相」と「凋落」から救おうとする試みが、エフィム・クルガーノフやヨシフ・ラスキン、コンスタンチン・セドーフその他の手で試みられている。
 また政治アネクドートに直接的にはかかわらなくとも、沈黙と緊張と間の美学を尊重したニクーリンやラスキンらの系譜をあゆもうとするアネクドートの模索を示す文集も出版されている。一八世紀から一九世紀にかけて、アネクドートにあれだけ優雅なユーモアを反映させた国で、愚かしくない時代の新しいアネクドートが出現することを期待したい。


『ロシアのユーモア』 講談社選書


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