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私の中の一期一会 №181 [雑木林の四季]

              平成30年12月23日は平成最後の天皇誕生日となった
          ~「旅を終えようとしている今、支えてくれた国民に感謝する」~

         アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 天皇陛下は平成30年12月23日、85歳の誕生日を迎えられた。
 来年4月30日に退位されることがすでに決まっているので、“天皇陛下”にとって誕生日の一般参賀は最後ということになる。
 天皇陛下は皇后さまや皇太子ご夫妻らと午前中に3回、宮殿のベランダに立ち、日の丸の小旗を振って歓声をあげる一般参賀者に向かってにこやかに手を振って応えられた。
 陛下は「誕生日にあたり、大勢の皆さんからこのような祝意を受けることを誠に嬉しく思います。今年も残念なことに各地で災害が起こり、これにより家族や親しい人を失い、あるいは被害を受け、今も不自由な生活を送っている人々のことを思い深く案じています。
 冬至が過ぎ、あと僅かで新しい年を迎えます。明けてくる年が皆さんにとり、明るい良い年となるよう願っています。皆さんの健康と幸せを祈ります」というお言葉を述べられた。
 午後には記帳も行われ、合わせて8万2850人の参賀者が皇居に詰めかけたという。天皇誕生日の参賀者数としては平成の過去30年間で最多となった。
 2016年8月、陛下が退位の意向をにじませたビデオメッセージを公表して国民を驚かせたが、その年の誕生日参賀者数は3万8588人を数え、平成最多記録として話題になった。
 翌17年は、さらに参賀者が増え5万2300人と連続して最多記録が更新されていたのである。
 宮内庁では2台の大型モニターを設置、会場の端からでも陛下をはじめ皇族方の様子が分かるように配慮したという。
 来年は1月2日に新年の一般参賀が行われるが、新天皇となる皇太子殿下は即位前の2月23日が誕生日なので、2019年は祝日となる“天皇誕生日のない1年”ということになった。
 誕生日に先立って行われた記者会見で、陛下は、「天皇としての旅を終えようとしている今、象徴としての私の立場を受け入れ、支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝します」と述べられたが、こみ上げる涙を飲み込むかのように、何度も感極まった様子を見せたと新聞が伝えている。
  天皇陛下は1989年1月に即位されたが、「日本国憲法の下で“象徴”と位置づけられた天皇の望ましい在り方を求めながらその勤めを行い、今日まで過ごしてきた。退位の日を迎えるまで、引き続き日々の勤めを行っていきたい」とも述べている。
 陛下は、記者会見や式典、外国訪問の挨拶などで、自らの考えとして、一貫して「象徴としての望ましい在り方」を求め続けてこられたと言ってもいいだろう。
 日本国憲法第1条には、“天皇は日本国と日本国民統合の象徴である”と規定されていることを我々は知っているが、「象徴とはどういうものか」について明確に答えられる人は少ないのではないだろうか。
 憲法では元首についても明確な規定をしていない。
 内閣の説明によれば、「天皇はかつてのような元首ではないが、国家を代表することがある存在・・」となるのだが、何だかよく分からない。「象徴」=「あいまい」だからだと思う。
 要するに形式的な権利だけを持って国事行為を行うが、実質的な権利は一切持っていない。むしろ持ってはいけない存在なのかも知れない。
 昭和天皇が初めて訪米された時、随行記者団の一員として私がアメリカ各地を回った時、宮内庁担当の先輩記者が「天皇はお飾りなんだよ」と耳打ちしてくれたことが思い出される。
 現人神(あらひとがみ)と神格化されていた昭和天皇は、日本国の敗戦で“人間天皇”に変わった。
 今の天皇陛下は、“象徴天皇”として即位した日本で最初の天皇なのである。
 「象徴天皇制」を作り上げてきたのは今の天皇だという説を目にして、私はちょっと目が覚める思いがした。象徴天皇制は多くの矛盾を孕んでいることを教えて貰ったように思えたからだ。
 11歳で終戦を迎え、18歳の昭和27年にサンフランシスコ平和条約が発効した。
 国際社会に復帰を遂げた日本で、皇太子だった天皇は諸外国を訪問するようになった。
 昭和47年に沖縄が本土に復帰すると、皇后さまと共に11回の沖縄訪問を重ねてこられた。
 サイパン、パラオのベリリュ-島、フィリピンなど大戦の激戦地へも慰霊の訪問に出掛けて来られた。
「皇后と私の訪問を暖かく受け入れてくれた各国に感謝します」と延べ、国際社会の中で平和を築こうと努力されたのだ。
 この1年を振り返る時、「例年にも増して多かった災害のことは忘れられない」と述べられた。
 集中豪雨,地震、大型台風などに多くの人命を奪われ、人々の生活基盤が失われた。
「いくつか被災地を訪れ災害状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした」と語り、被災者が一日も早く元の生活を取り戻せるよう願ってきた。
 被災者や障害者など恵まれない人々に心を寄せていくことも、象徴天皇の大切な務めと確信して過ごしてきたことを振り返った。
「結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、“私の立場と務め”を支えてきてくれました
 国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を真心を持って果たしてきたことを心から労いたいと思います」
 この皇后への労いの言葉は、説得力があり私の胸に響いた。
 官僚が用意した文章を棒読みするだけの政治屋どもからは絶対に伝わってこない“率直な感動”が私に伝わったのである。
 天皇としての最後の記者会見は約20分に及んだが、内閣記者会からは「現在のご心境と、いま国民に伝えたいことをお聞かせください」という1問だけのお願いだったという。
 陛下は側近が用意した、この1年の活動記録を参考に、自らが書き記した回答が記者会見の全文であった。
「来春には私は譲位し新しい時代が始まります。新しい時代に天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は、共に多くの経験を積み重ねてきました。皇室の伝統を引き継ぎながら、日々代わりゆく社会に応じつつ道を歩んで行くと思います」と述べて最後の記者会見を締めくくった。
 来春の譲位は今の天皇一代限りの特別措置が前提である。
 天皇陛下は「一代限りでは自分の“わがまま”と思われるので良くない。制度化でなければならない」と不満を示し「自分の意志が曲げられるとは思わなかった」と嘆いたという。
 秋篠宮は先月30日の会見で、皇室行事の大嘗祭(だいじょうさい)について「宗教色が強いものについて国費で賄うより内廷会計で行うべきだと思うが、宮内庁長官は、聴く耳を持たない」と発言したことがニュースになった。
 政府と皇室の間には越え難いミゾが存在する。
 「象徴天皇の望ましい在り方」の前途には、まだ多くの問題が横たわっているのだ。
 新天皇の時代まで「象徴のあいまい」は続いていく・・・
 天皇陛下はこの年末、風邪を引いたらしい、まだ治らないのだろうか?

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笠井康宏

藤田さん、おはようございます。明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い申し上げます。
by 笠井康宏 (2019-01-04 10:41) 

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