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立川陸軍飛行場と日本・アジア №171 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

           あけましておめでとうございます。
   ああ無情!立川の民間飛行へ正式に立ち退き命令

             近現代史研究家  楢崎茂彌

 昨年の12月25日に、日本政府は突如、国際捕鯨委員会からの脱退を閣議決定しました。僕がすぐに連想したのは、1933年の国際連盟からの脱退です。今回の、国際捕鯨委員会からの脱退は、事前に国民に知らせるわけでもなく、直前まで臨時国会が開かれていたのに、国会に報告することも諮ることもせずに、例によって政府が独断で決定しています。気にくわないからと、国民的議論もしないまま国際的枠組みから飛び出す政府に危機感を持つのは僕だけではないと思います。対立を対話に変えるのが外交ではないでしょうか。
 
 日本飛行学校、移転を迫られる
171-1.jpg立川陸軍飛行場の西地区を使用していた日本飛行学校、御国飛行学校と日本学生航空連盟は1年ごとに陸軍に飛行場使用願いを提出して練習飛行を許可されてきましたが、第五連隊の改編、陸軍航空本部技術部の充実、陸軍航空本部補給部の立川移転などの動きにより、愈々立ち退きの承諾書提出を求められることになりました。羽田の東京飛行場は移転先の候補ですが、立川の3分の1の広さしかありませんし、練習飛行は許可になりそうにありません。日本飛行学校の伏見教官は次のように語ります。“行き先がないので困っています。授業料前納の学生等は随分心配しているものもあるかも知れませんが、陸軍や航空局でもそう無情にただ立川を立退けというようなことはないと考えられます。私の学校ではこれについては学生が動揺しているようなことは全然ありませんが、学校としては絶対の責任を持っていますので、学生に迷惑をかける事は絶対にありません。”(「東京日日新聞・府下版」171-2.jpg1933.5.7)
 日本飛行学校の創立については連載NO4で紹介しましたが、どんな学校だったのでしょう。「少年飛行兵となるには」(大竹豊秋 山田徹共著文教科学協会 1932年刊)は、日本飛行学校の歴史を次のように紹介しています。“日本飛行学校は民間で初めて飛行教育を学校組織で実施した最初のもので、大正五年に相羽有氏と玉井清太郎氏により創立され、飛行機設計製作に関する技術者の育成に努めた。その後、変災が続いたために一時休止のやむなきに到ったが、飛行機講義録や自動車講義録を発行して通信教育の知識の普及をはからんとした。大正六年に日本自動車学校を創立し、大正八年蒲田に校舎が完成。大正十二年二月立川村に日本飛行学校を再建した。爾来今日まで四十数名の飛行士を育てている”(要約)。 いわゆる伝統校ですね。連載NO4でも紹介したように、「立川飛行場物語(上)」で三田鶴吉さんが相羽さんに直接取材して、飛行機講義録は実際には役に立たなかったけれど、良く売れて経営を助けたことなど、創立当時の出来事を中心に5回にわたる記事を書いています。
 NO61“売れぬ飛行士 ここにも就職難”では卒業生が一人も操縦士に採用されていない現実を紹介しましたが、NO112「飛行士志願の申し込みに大弱り」で書いたように志願者はあとをたちません。更に連載NO160で紹介したように、12歳の少女までが志願するこの学校の受験資格とか授業料とか授業内容はどうなっているのか疑問ですよね。
  「小学卒業立身案内」(小林喬著 帝国教育出版部・1934刊)という本を読んで、その疑問が解けました。この本には、日本飛行学校が次のように紹介されています。
  “所在地   蒲田区新宿十番地
  創立年月  大正十三年三月
  創立者   相羽有
  校長    相羽有
  入学資格  年齢十四年以上、学力尋常小学校卒業以上
  入学率   入学試験不要 志願者全員入学
  修業年限  正科(二ケ月)操縦科(正科卒業後四ケ月)
  科別及科目 正科-修身、飛行機構造学、航空力学、発動機学、気象学、発動機操縦学、
         自動車操縦術
                操縦科-修身、飛行機構造学、航空力学、操縦学、気象学、発動機操縦法、
         飛行機製作及修理法、飛行機操縦術
  学資   正科   入学金(五円)授業料(十円)実習費(七十円)
       操縦科  授業料(四十円) 実習費(一時間 六十円)
  職員   二十一名
  卒業後資格  飛行機操縦士  飛行機修理技術士
  図書館  図書参考室の設備あり
  寄宿舎  指定宿舎の設備あり”
  なるほど、14歳以上なら無試験で全員が合格するので志願者が続出するのですね。でも、それで航空力学などが理解できるのか疑問です。学資について言うと、当時の“もりそば・かけそば”の値段は10銭でした(「値段の明治大正昭和風俗史」(週刊朝日編集部編 朝日新聞社1981年刊による)。現在の価格は400円前後なので、入学金5円は換算すると約2万円となり妥当な線です。しかし、飛行機を操縦する実習費1時間60円は現在の約24万円にあたるので、とうてい庶民には手が届かない額です。でも経営は成り立っていて、移転先を探してもいるのだから不思議です。それにしてもこんなに高額なのに「小学立身案内」に載せるのは妥当とは思えませんよね。 
 因みに、同じ飛行機操縦士育成機関の逓信省航空局民間依託操縦生は採用試験を行っています。試験科目は、邦語(時限二時間半)、外国語(二時間半)、数学(二時間半)、化学(二時間半)、物理(二時間半)に及んでいます。物理の問題は“・比重と密度の説明をせよ。・左の単語を問う イ 電位差 ロ 電流 ハ 電気抵抗”、数学には“・次の恒等式を説明せよ(1+sinA+cosA)2=2(1+sinA)(1+cosA)”などと高度な問題が並んでいます(水上機操縦の部 昭和5年出題)。これで、日本飛行学校の卒業生がなかなか飛行士に採用されない理由が分かりました。(問題は「少年航空兵となるには」から引用)
 
  移転先の提供申し出が
  移転を迫られ困っている日本飛行学校に、砂川村七番の北側に土地を持つ青木巳之助さん他二名から、用地売却の申し出があったと新聞は報じています(「東京日日新聞・府下版」1933.5.17)。しかし、記事は立川陸軍飛行場とは近すぎるので接触事故の可能性があり陸軍は許可しないだろうと推測しています。また大和村(現・東大和市)からも用地売却の話があったようですが、無償提供を望む学校とは折り合いはつきません。一方、御国飛行学校は埼玉県に土地を物色し始めます。
  この事態に立川町も黙っているわけにいかず、行き先が見つかるまで立川に存続させてくれように航空本部に町長が陳情することになりました。
 
  ああ無情!立川の民間飛行へ正式な立ち退き命令
171-3.jpgこうして民間側が対策に苦慮しているにもかかわらず、昭和8(1933)年5月17日、近衛師団経理部は「9月30日までに家屋格納庫を撤廃すべし、但し移転料は支給せず」との通告を出しました。日本飛行学校の木暮主事は当惑気味に次のように語っています“私の学校では地主に来年四月までの地代を支払ってありますので「陸軍に買収されたから」と地主より通知があった時、移転の話をしたところ、それは陸軍から話があるからという返事だったので、立退きについては何分の補償を貰えるものと当てにしていたため、全然支給しないという話に驚きました。何とか陳情する考えです”(「東京日日新聞・府下版」1933.5.19)。日本飛行学校の伏見教官の“陸軍や航空局でもそう無情にただ立川を立退けというようなことはないと考えられます。”という期待は外れました。さて、どこに行ったら良いのやら…。

写真上 羽田から移転した当時の「日本飛行学校」「立川飛行場物語・上」第44回
写真中 日本自動車学校・日本飛行学校講義録   国立科学博物館所蔵
写真下 立退きの引導を渡された民間飛行 「東京日日新聞・府下版」1933.5.19
   

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