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論語 №65 [心の小径]

二〇三 子のたまわく、大なるかな堯(ぎょう)の君たるや、巍巍(ぎぎ)乎(こ)たり。ただ天を大なりと為す。ただ堯これに則る。蕩蕩(とうとう)乎として民能(よ)く名づくるなし。巍巍乎としてそれ成功あり。煥(かん)乎としてそれ文章あり。

                        法学者  穂積重遠

 孔子様がおっしゃるよう、「さてさて大いなることかな、堯の天子様掛りは。実にりっばなことじゃ。およそ唯一の大きなものは天だが、堯のみが天と肩をならべる。その広大無辺なること、何と名のつけようもない。ただ見るところは高くそびえるその事業と、光りかがやくその礼楽制度とのみ。」

 伊藤仁斎の左の解説が要領を得ている。
 「言う心は、民堯の徳化に涵育(かんいく)して、而してその徳化の然(しか)る所以(ゆえん)を知らず。なお人天地の中に在りて、天地の大いなる所以を知らざるが如きなり。ただその見る所のものは、功業文章の巍然(ぎぜん)煥然(かんぜん)たるのみ。」

二〇四 舜に臣五人有りて天下治まる。武王いわく、われに乱十人有りと。孔子のたまわく、才難(かた)しと、それ然らずや。唐虞(とうぐ)の際ここにおいて盛んなりと為す。婦人有り、九人のみ。天下を三分してその二を有(たも)ち、以て殷(いん)に服事す。周の徳はそれ至徳と謂(い)うべきのみ。

 「乱臣」の「乱」は「治」だという。変なことだが、昔はこういう逆な用法もあったらしい。「唐虞」は堯舜のこと。堯は陶唐(とうとう)氏、舜は有虞(ゆうぐ)氏。

 舜には賢臣が五人あって天下が治まった。武王は、自分には乱を治める重臣が十人ある、と言った。それについて孔子様がおっしゃるよう、「人才は得難し、という古語があるが、なるほどそうではないか。堯舜以来周が人材あることにおいて一番盛んだったが、十人のうち一人は女で男は九人だった。しかしともかくもそれだけの人材があったので、天下の三分の二までがその勢力下にはいったが、それでもなお殷に臣として事(つか)えていた。文王時代の周はまことに徳の至極なものといってさしつかえない。」

 「天下を三分して」以下は別章だという説もあるが、前記のごとく解すれば意味が通る。孔子様がしきりに文王をはめる裏には、臣として君を討った武王にあきたらざる気持が含まれている。

二〇五 子のたまわく、禹(う)はわれ間然(かんぜん)する所なし。飲食を菲(うす)くして孝を鬼神に致し、衣服を悪しくして美を黻冕(ふつべん))に致し、宮室(きゅうしつ)を卑しくして力を溝洫(こうきょく)に尽す。禹はわれ間然する所なし。

 「黻」は前掛(まえかけ)、「冤」は冠、共に祭祀用。

 孔子様がおっしゃるよう、「禹王にはわしも非の打ちようがない。自身の食事は軽少にして祖先の祭の供物を豊富にし、「ふだんぎ」は粗末にして祭服をりっぱにし、御殿を質素にして灌漑(かんがい)水路に全力をそそいだ。禹王にはわしも非の打ちようがないわい。」


『新訳論語』 講談社学術文庫

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