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対話随想余滴 №4 [核無き世界をめざして]

  対話随想 余滴④.中山士朗から関千枝子様

                  作家  中山史郎

 新聞のコラムによれば、暑い夏の後には寒い冬が訪れると諺にある由。
 とにかく、この寒さに身も心も縮み、とうとう今年も身の回りの始末をつけないまま師走を迎えたという思いに沈潜しています。
 実は以前から思っているのですが、関さんが毎回送ってくださる複写に、知の木々舎の横幕さんが撮影された季節の美しい写真が添えられていますが、今度、『余滴』が本になる場合は、その都度その写真で飾って頂ければ、文章に季節感がにじみ出ていいだろうなと想像しています。最近では送った原稿に、書いた年月日を覚えとして記しているので、ふとそのようなことを思いました。
 このたびの関さんのお手紙を読みながら、書くということは、大勢の人と出会い支えられ、支えて生きていくものだとつくづくと感じました。そして、そこには作品の運命も関わっているように思いました。
 とりわけ、関さんと井上光晴さんとの出会いをこのたびの劇団大阪による『明日』の公演を通じて回顧される場面を読んで、はじめて知りましたが、物書きが歩んだ一端をうかがい知ることができました。同時に、その頃から関さんとのつながりがあったことに驚いております。
 と言いますのは、その頃、私も井上光晴の作品をしきりに読んでいたからです。
 お手紙を読んだ後で、書庫を覗いて調べてみましたら、『流浪』『暗い人』『乾草の車』『黄色火口』『階級』『残虐な抱擁』『虚構のクレーン』『幻影亡き虚構』『地の群れ』『九月の土曜日』『辺境』「明日』『眼の皮膚』『曳舟の男』『暗い人』と十五冊もありました。 
 そして、井上光晴さんから頂いた葉書のことを思い出しました。手紙の束から取り出して、改めて読みなおしました。
 
「死の影」頂きながらお礼がおくれました。今「石の眠り」一篇を読んだところです。何かつらい感じでした。どうかがんばって下さい。文学は困難な道ですが、歩き続けるより仕方ありません。時間をみつけてほかの作品をよみます。

 葉書の住所は、世田谷区桜上水四の一となっており、その頃私が住んでいた三鷹市中原四丁目宛てに頂いたものです。
はからずも、関さんのお手紙によって、井上光晴さんの作品に親しんでいた頃の私を思い出しながら、その頃は関さんとお目にかかる機会はありませんでしたが、現在、ご縁があって六年にわたって往復書簡をつづけさせてもらっているのが不思議にかんじられてなりません。
 それとは別に。関さんが母子家庭の現実を書きたい、と井上光晴さんに手紙を出した後の電話で、次のような言葉がありました、
「書きなさい、すぐ」、「わかっている、もう読んだ」、「一〇〇枚書きなさい」「ちまちましたことを考えるな、一〇〇枚書きなさい」。
 この言葉によって関さんは、井上光晴さんの個人誌「辺境」に七〇枚ずつ三回にわたって書かれました。これは後に農文協から『この国は恐ろしい国』となって出版されたということをこのたびはじめて知りました。
 この個所を読みながら、私が吉村昭さんに出会った頃のことが思い出されました。
 丹羽文雄さん主宰の「文学者」に加入する前のことです。ある同人雑誌に載せた作品を吉村さんに読んでもらったところ、「原爆は君にしか書けないんだ。それを書くだけの力が君にある」と励まされたのでした。そして、私は『文学者』に七〇枚の作品を載せてもらったのです。それは後に一〇〇枚に書き直し、吉村さんの紹介で南北社から発行されていた『南北』に「死の影」として掲載されたのでした。そして、昭和四十二年十月に「死の影』となって世に問われたのでした。関さんと同じような経路をたどって、処女作が世に出たように感じております。
 そして、劇団大阪の公演舞台の中でのゲートルの話の場面、なるほどなあ、と思いながら読ませてもらいました。
 昭和十八年四月に中学校に入学した私たちは、入学早々に配給されたのは、スフ織りの制服と制帽、ゲートルでした。いずれも当時、国防色と言われたカーキ一色のものでした。そして、最初に、軍事教練の配属将校からゲートルの巻き方について教えられたのでした。軍足と呼ばれる靴下の上部を下ろし、そこに三角形に折りたたんだズボンの端を置き、その上に軍足を元に戻し、そしてゲートルを巻いていくのですが、最初の二段は斜めに折ってそれから膝まで巻をいていきます。朝、家を出るときに巻いて行き、下校して家に着いてはじめてゲートル解くのです。そして、固く巻き戻しておくのです。巻き方が緩いと、軍事教練や行軍の最中にたるみ、列外に出て巻き直しをしなければなりませんでした。
 この厄介な代物を、敗戦直後、私は原爆で焼け野原になった土の上で燃やしたことを今でもはっきりと思い出すことができます。そのゲートルには、原子爆弾が炸裂した際の熱線によって濃い焦げ目が残っていました。
 このゲートルという名詞、死語になったかなと思って念のため辞書で調べてみましたら、<フランス語。西洋のきゃはん.。まききゃはん。≫とありました。

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