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私の中の一期一会 №177 [雑木林の四季]

          フリージャーナリスト安田純平さんを巡る「自己責任論」を考える
      ~紛争地帯へは「安全対策をキッチリ行える者が行くべきだ」と橋下徹氏~

              アナウンサー&キャスター  藤田和弘

  内戦の続くシリアで武装組織に拘束されていたフリージャーナリストの安田純平さん(44)がこのほど解放されて、25日夜約3年4か月振りに帰国した。
 40カ月に及んだ長期の拘束生活について、機内で「身体的にも精神的にも地獄だった」と語る安田さんだったが、成田空港ではしっかりとした足取りで通路を歩き、出迎えた両親や妻との再会を喜んだ・・と新聞が伝えている。
 安田純平さんは、健康状態を調べるため数日間の検査入院が必要な体調だそうで、空港での記者会見は行われなかった。
 夫に代わって妻の深結さんが「大変なお騒がせとご心配をおかけしましたが、無事に帰国することが出来ました。ありがとうございました」とメッセージを読み上げた。
 深結さんは「安田には“可能な限り説明する責任”があります。折を見て対応しますので,今日のところはご理解ください」と報道陣に頭を下げたという。
 フリージャーナリストの安田純平さんは2015年6月23日、トルコ南部から「シリア北西部に入った」と日本の知人に連絡してきた直後、消息が途絶えた。
 16年3月、安田さんとみられる男性が、日本の家族などにメッセージを伝える映像がネット上で公開された。
 安田さんを最初に拘束したのは、国際テロ組織アルカイダ系の過激派「ヌスラ戦線」とみられている。
 その後、幾つかの組織を転々と移動していたという話も伝わっているが、いずれ安田さんの口から真実が語られるのではないかと私は思っている。
 海外にいる邦人の保護は政府に責任があるという大前提はあるが、人質をとられた時点で国は守勢にならざるを得ない。人命を最優先にしながらテロに屈したくはないからである。 
 日本政府は安田さんの解放に向けて、トルコやカタールを通じて交渉を続けてきたようだ。
 安倍首相は「カタール、トルコには大変な協力を頂いた」と感謝を表明したが、詳細は語らなかった。
 身代金を支払ったかどうかも含めて、今の時点で解放の経緯が明らかになったとは言えない。
 今回の解放劇で際立つのは、ネット上で飛び交う“フリージャーナリストの自己責任論”である。
「退避勧告が出ている所へ行って拉致されたのだから自己責任だ」
「解放されたから良かったが、危険地帯に無謀な渡航をして武装勢力に摑まった。命乞いして支払われた身代金は、またテロ資金になるじゃないか」
「彼が捕まったのは今回が初めてではない。捕虜常習者だ。また行ったら助けるのか?」・・など安田純平さんを巡るバッシングが多い。
 かつて大阪市長を務めた橋下徹氏は29日、「危険地帯に行って真実を明らかにすることはジャーナリズムにとって大切なことだ」と前置きして持論を展開した。 
 政府や自治体は無条件で国民や市民を守らなければならない。大手メディアが自社の記者を危険地帯に行かせないのが現状だから、そこにフリージャーナリストが行くしかないという状況が生じる。
 政府がウソの情報を流すのは当たり前だから、「報道の自由」が真実を暴くしかないのである。
 ただし、それには準備が必要になる。エベレストを軽装で登る人がいないように、安全対策は絶対必要である。
 安田さんの場合も「安全対策は十分だったのか、それとも無謀だったのかを検証すべきだ」と訴えた。
 東京工業大学の柳瀬博一教授は、こういう問題が起きると必ず自己責任問題が出てくるが、「リスクを承知で取材に行く価値」について考える必要があると説く。
 そもそも政情不安の国に“絶対”はあり得ない。そういう地域にリスクをとって取材に行ってくれる人がいないと真実は伝わってこない。
 現代はスマホを使えば誰でも簡単に情報を発信できる。だからこそジャーナリストが現地で取材し、検証する意味は非常に大きいのだ。
 日本の大手メディアは危険地帯に記者を行かせないから、紛争地帯で現地の人に会うことなどほとんどない。 
 そうなると、安田さんのように危険を冒して取材してくれる人が重要になってくるというのだ。
 それにしても、何故、フリーランスのジャーナリストはリスクを冒してまで戦場に行くのだろうか?
 戦場取材の経験をもつ「現代ビジネス」の瀬尾傑編集長は「現地に行かないと分からないことがたくさんあるからだ」と明解に述べる。
 イラクのファルージャで米軍がイラク兵の捕虜を虐待していたという事実をスクープしたのは日本人ジャーナリストたちだった。彼らが現地に行かなかったら、この事実が表に出たかどうか分からない事だった。
 イラクやシリアは日本から見ると危険地帯になるが、そこには普通に生活している人は大勢いるのだ。
 そうした庶民の中に入って取材し、住民たちがどう思っているかを伝えるのもジャーナリストの大事な役割だと言える。
 2014年にイスラム過激派に拘束され殺害された後藤健二さんも、紛争下の難民取材に情熱を傾けた一人であった。
 日本では、戦場ジャーナリズムはフリーランスによる一部の活動と思われがちだが、欧米では全く違う。
 戦争報道はジャーナリズムの中心にあると言っても過言ではない。
 「放浪記」を書いた作家・林芙美子にも従軍記者として戦争賛美の筆を振るった体験があった。
 南方戦線を視察した時、戦争の欺瞞に気付き戦後は反戦文学に転じたというエピソードを知った。
 開高健さんもベトナム戦争を直接取材し、死ぬ思いを経験したという。
 そこに行かなければ分からないことがたくさんあると思うと、“伝えたい”の前に“知りたい”という好奇心が先に立つのは仕方がないことなのだ。取材者のサガとはそういうものではないだろうか。
 戦争の実態にカメラを向ける“戦争カメラマン”もジャーナリストの一人である。
 戦闘や紛争が勃発している地域に足を運び、戦闘員や戦闘、戦争被害や被害者をカメラに収める。
 彼らの仕事は常に死と隣り合わせだといわれる。環境が劣悪なのは当たり前だ。
 睡眠不足、空腹、想像を絶するストレスの毎日が連続する。仕事中に命を落とす者も少なくない。
 戦争取材で私が思い出すのは、カンボジア内戦を取材中にクメール・ルージュに拘束され殺害された戦場カメラマン一ノ瀨泰三のことである。
 一ノ瀨は、若い戦場カメラマンだった。カンボジアを取材して“アサヒグラフ”や“ワシントンポスト”に写真を届けていた。
 1973年11月、「写真がうまく撮れたら東京に持って行く。もし、地雷を踏んだらサヨウナラ」と友人に手紙を書いたことが公表されて話題になった。一ノ瀨泰三は、26歳という若さ戦場に散っている。
 後年、彼の死体が掘り起こされ両親に返されたが、その時我々の番組が現地取材を行っていた。
 確か頭蓋骨に銃弾の後があり、処刑されたことが分かったと記憶している。
 あの時、カンボジアは紛争状態ではなかったが、あの現地取材がなかったら死因は永久に不明だったかも知れない。 「そこへ行って取材する意義は確かにある」と私は再確認している。
 世界の紛争地域や被災地を取材する戦争カメラマン渡部陽一(46)が書いた「戦場取材の掟」を読むと、
自分の身を護ることに最大の注意を払い、お金もかけるという。 
 戦場ジャーナリストは「生きて無事に帰り、伝えること」が最も大事なことだと述べている。
 解放され無事に生きて帰ってきた安田純平さんの退院も近いだろう。記者会見で何を語るのだろうか。

 

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笠井康宏

藤田さん、こんにちは。安田氏は懲りずにまた行きますよ。白紙なんてあり得ません。湯川氏、後藤氏の様に殺されるまで取材をします。二度あることは三度あります。自己責任と言いながら命乞いしているじゃないですか。平和ボケをしている奴が首を突っ込むんじゃないよ。と言いたいですね。
by 笠井康宏 (2018-11-09 11:37) 

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