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梟翁夜話(きょうおうやわ) №23         [雑木林の四季]

よきかな「語り書き」

                           翻訳家  島村泰治

歳に似合わないとよく言われる。立ち居振る舞いのことではないらしい。何年か前、小中学校の同窓会ではそのせいで超人扱いされて、悪気のない村八分にされた。いや、何のことはない、傘寿越えして小器用にPCなど操り、ネット経験を語るその様子が、どうも年寄りとは思えないという下馬評なのだ。

確かにLancersでは最高齢のライターと奉られて、新時代の働き方のパターンの1つを代表するかに謂われて、現に日英両語で応分の手間賃を取ってネット上でものを書いてはいる。それで同窓の爺婆にはそう見えるのだろう。漠として時を過ごす気がないから、どうやらこの下馬評は甘んじて受けずばなるまい。

受けついでに、このところあることに凝っていることも白状したい。世に《音声入力》という、指先より口先で文字を書こうと云う技のことだ。なんとも無粋な言葉だから「語り書き」と呼び換えて、いまこの技を錬磨しているところだ。文字変換機能という今風な技術のことは、皆目判らないのだが、それがキーボードから打ち込む以外にマイクから語り込んでもシッカリ文字化される「現象」だとネット上で見聞きして、ハタと膝を打った。

将に歳に似合って、近ごろ指先から何時からか闊達さが失せた。左右の薬指がミスタッチをする頻度がめっきり増えた。まごまごすると二つのキーを重ね打ちする。勢い修正に手間が掛かり、戻っては打ち打っては戻り、「書く」テンポが大きく狂う。文章によってはその「行きつ戻りつ」が味にもなるのだが、芸もないメールの打ち込みではそれが堪えられない苛つきになっていた。

語り書きを覚えてまだひと月にもならないが、いま、もの書きの作業に得も言われぬ妙味を味わっている。折々の凝った漢字は指先で、平仮名で流れる部分は口先で、打ち分け語り分けて書き進める妙味はごく新鮮だ。昔書き慣れたペリカンやモンブランは疾うにインクが枯れたが、漢字平仮名を書き分けるペン先の筆圧の違いが、打ち分け語り分けながらそぞろ思い出されるのだ。実に面白い体験をしている。

ネットであれこれ探って見れば、語り書きにはマイクの善し悪しが要(かなめ)らしい。いま使っているのは曾て音楽の同時録音をしたときのミニマイクで、手作りのネックに繫げて仕組んだものだ。それでもほどほどに声を拾ってくれるのだが、折々に飛んでもない文字を返して寄越すのに辟易している。

思い立ってMacに問い合わせて周到なマイクを選び、Shureというメーカーに談じ込んでこれぞという製品を特定して貰った。わが家の大蔵省の認可が下りれば、いずれこれが机上に備え付けられる。当座の仕組みよりはハードウエア環境は好くなろう。

さて、残るのは滑舌の問題だ。そう、先ほどの「飛んでもない言葉」の原因はマイクのせいばかりではなさそうだ。マイクが拾う音声はどうか、と問われれば、流石に傘寿の喉には負い目がある。語り書きは若者に限るなどとは言わせまい。これからは滑舌の訓練もスクワットに負けず日々の習慣にせねばならぬ。語り書きでものを書く愉しみが、老いの保健にも繋がるなら申し分ない。

よきかな「語り書き」である。

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