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雑記帳2018-8-15 [代表・玲子の雑記帳]

2018-8-15
◆この夏、東京で一番暑かった青梅を訪ねました。

連日の猛暑の中、テレビは毎日のように熱中症予防を呼びかけ、適切な冷房の使用をすすめています。も早節電の声はどこへいって聞かれません。温室効果ガスの削減よりも、熱中症で死者のでることの方が差し迫った問題になったということでしょう。

不要不急の外出は避けましょうと言われながらも、水のそばなら少しは涼しいかと、青梅市は沢井にある小澤酒造の酒蔵見学を思い立ちました。ここは、知の木々者でおなじみの『往きは良い良い、帰りは・・・・・・物語』で俳句の会、こふみ会が吟行したところです。

見学の時間まで多摩川を見下ろすガーデン、澤乃井園でしばし一休み。
庭の一角に鉾杉をイメージした歌碑がたっています。
   西多摩の山の酒屋の鉾杉は
       三もと五もと青き鉾杉
この歌が、大正12年に奥多摩に遊んだ歌人、北原白秋の詠んだ「造り酒屋の歌」の反歌であることを知る人は少ないかもしれません。「造り酒屋の歌」は、 九州、柳川の造り酒屋のあととりだった白秋が、山深い里で酒の仕込みに精出す杜氏たちの姿に、今はない生家を偲んで生まれたのでした。

沢の井ガーデン1.jpg
澤乃井園ガーデン
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白州の歌碑

多摩川にはたくさんの橋がかかっていますが、澤乃井園の庭から対岸にかかる吊り橋は「楓橋」とよばれています。八世紀の中頃に活躍した中国の詩人・張継(ちょうけい)の詩『楓橋夜泊(ふうきょうやはく)』から採った名前だそうです。橋をわたると、寒山寺の小さな寺堂があります。この寺にも由来があります。明治十八年、時の書家、田口米舫(べいほう)師が中国に遊学、各地を歴訪中、中国寒山寺より寄託された木像の釈迦仏一体を日本に持ち帰り、日本の中で適地を探索していたところ、この沢井の鵜の瀬渓谷を発見、当時の青梅鉄道の社長、小澤太平の支援によって、沿線の名士、文化人の喜捨を得て建立したというものです。(『今は昔 奥多摩見聞録』より) 戦争中供出されて戻ってこなかった鐘も再建されて、今でも渓谷の散策におとずれた人が鐘を突く音が聞こえます。

小澤酒造の創建は元禄15年(1702年)。都内にある9軒(休業中も含む)の蔵元の中でも最も古い歴史をもちます。看板の清酒「澤乃井」の名称はこの知がそのむかし、武蔵国澤井村だったことに因んでつけられたそうです。
創建の時作られた酒蔵は「元禄蔵」と呼ばれ、厚い土壁は外気温を遮り、今でも貯蔵庫として利用されています。
酒米は「山田錦」。食用の一般米と比べて、タンパク質や脂肪分は少なく、保水力が高いなどの特徴を持ち、粒も食用米より大きい。これを35%まで削るのです。酒の銘柄に応じて使用する米の銘柄も変わりますが、これは杜氏の親方がきめます。蒸した米に麹と酒母を加えて仕込んだのがもろみです。仕込みは3回に分けるので三段仕込みと呼ばれます。
仕込み水は高水三山を源に、秩父成層の堅い岩盤から湧き出る石清水が使われています。珍しい横井戸を見学させてもらいました。この水は澤乃井園の中にある岩からも浸み出していて、誰でも飲むことができます。こうして10月末には新酒が出来上がり、酵母を除去した生酒は火入れの後市販されます。清酒の管理は常温でもよいが熱処理をしていない生酒は冷蔵管理を、と、酒飲みには当たり前のことも飲まない私には新鮮でした。

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小澤家母屋
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酒蔵
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日本酒には珍しいj熟成酒「蔵守」も蔵の中で熟成中。
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岩清水の横井戸
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ガ^デン内にも浸み出している岩清水

ガーデン横の多摩川べりを行けば、木立の中に「青年の像」が建っています。
戦争中、青梅に疎開していた彫刻家の朝倉文雄が、50年前の東京オリンピックの際に市に寄贈したものです。

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朝倉文夫「青年像」

戦争中に青梅に住んだ作家や芸術家たちは戦争が終わると東京へもどりましたが、日本画家川合玉堂は青梅にとどまり奥多摩を描きつづけました。川合玉堂美術館は青梅線御岳駅の近くに佇んでいます。
小澤酒造の会長夫人、小沢萬里子さんは玉堂のお孫さんです。ご縁があって、知の木々舎創立まもない2010年に『今は昔 奥多摩見聞録』を書いていただきました。その中で、(多分多摩川の)水を描く玉堂や、弟子たちに向き合う玉堂の姿が紹介されています。美術館の脇には玉堂の画友、清水比庵の歌碑があります。
   山近く 水急(はや)くして まのあたり
             玉堂先生 描きたまへり

玉堂美術館.jpg
玉堂美美術館
玉堂美術館2.jpg
清水比庵の碑

美術館のそばにはこれも小澤酒造の経営するレストラン「いもうとや」。澤乃井園にある豆腐・湯葉料理の店「ままごとや」の妹分にあたるとつけられた名前です。
昼食時には我慢した甘味をと、冷たいぜんざいをいただきました。
広い窓から見る多摩川は、一週間前の台風の余波か、 緑青の水嵩もまして、一服の涼を感じさせました。

いもうとや.jpg
いもうとや
いもうとや3.jpg
多摩川を見下ろす窓辺
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ちなみにお昼は吉川栄治ゆかりの紅梅苑の栗おこわ御膳でした。疎開中、町の人たちとの交流も厚く、慕われていた吉川栄治は戦後、国民的作家と呼ばれたこともありました。住居は記念館になって公開されていましたが、今は残念なことに休館中です。奥さんが始めた紅梅宴も彼女なきあと、その遠縁の人が経営していると聞きました。

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汁もたっぷり、おなかも満足

◆ここで、酒にちなんだ小話をひとつ。日本酒の技と心を伝える酒匠会のリーフレットに紹介されていました。「急須は昔 酒器だった」
最近は若い夫婦の過程では急須のないところが増えているとききますが、その急須、実は昔はお酒のお燗をする道具として考えられたものでした。
中国の明の時代にうまれ、日本へは室町時代につたわりました。江戸後期、11代将軍徳川家斉治下の文化文政期(1804)~29)に煎茶が流行した折、お茶を煎じて出す器具をしてちょうどいいと普及したそうです。
高級茶の玉露用は小型で「きびしょ{急備焼)」と呼ばれ、京都の文人墨客もてはやされました。
注ぎ口と握り手のついたものが普通ですが、握り手のないものは宝便(ほうへい)とよびます。たまには燗酒でも冷酒でも急須に入れて、猪口に注いでみるのはいかがでしょう。

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笠井康宏

横幕さん、こんばんは。御岳山に行くときは必ず立ち寄るところです。先日、台風の2日後に行きましたが、濁流でいつもの風景と違いました。子供と川遊びに行くのに最適と思いましたが、川の水が冷たく濁流で水が多く、しかも流れが速いので諦めました。普段は良い眺めなんですがね。
by 笠井康宏 (2018-09-02 19:05) 

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