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雑記帳2018-6-15 [代表・玲子の雑記帳]

2018-6-15
きみちゃん像は麻布十番にもありました。

台地と谷地で形成された麻布は坂の多い町です。
縄文時代から人が住み、8世紀初頭には竹千代稲荷、9世紀には善福寺が創建されるなど寺社の門前町として栄え、江戸時代には武家屋敷が建ち並ぶようになりました。
明治の近代化とともに、台地の上と谷で、富裕層の住宅地と零細商工業地とに分化がすすみました。

かって「土筆が原」と呼ばれた広尾一帯は、しばしば将軍家の鷹狩りが催されたところです。二代将軍秀忠が鷹狩りをした際に立ち寄って稲荷神を勧請したと伝えられる広尾稲荷神社には、戦禍を免れた江戸時代の拝殿や大正時代に再建された本殿が現存しています。
拝殿の天井には日本最初の洋画家、高橋由一が描いた龍の絵が見られます。これは彼の最後の日本画だと言われています。

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広尾稲荷神社
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高橋由一の天井画

東京メトロ広尾駅に近い有栖川宮記念公園は、麻布台地を取り込むように造られた庭園です。江戸時代には盛岡南部藩の下屋敷でした。南部藩はのちに、屋敷替えで南麻布に移転しましたが、南部坂の名称はそのまま残っています。
明治29年、有栖川宮家の御用地となり、有栖川家がとだえたあとは高松宮家が預かって後に東京市に賜下され、その後も、1959年に東京都から港区に移管されるという変遷をたどって、現在は区立公園として親しまれています。
台地を利用して造営された園内は丘があったり、渓谷や池があったりと起伏に富み、高台の木立はまるで高原のよう、都内とは思えないほど緑豊かな自然に恵まれています。木立の向こうに見える都立中央図書館は蔵書が充実していることでファンも多いと聞きました。

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東京都中央図書館.jpg
都立中央図書館

港区、ことに麻布は大使館の多いことで知られています。
皮切りは、安政5年、江戸幕府が日米修好通称条約に基づいて、善福寺に、アメリカ合衆国公使館を設けたことでしょうか。初代中日総領事タウンゼント・ハリスが逗留しました。慶応2年には別の寺院にプロシア公使館も設けられました。
今、港区にある大使館の数は70近く、そのうち、20以上の大使館が麻布十番商店街周辺に集まっています。

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通りすがりに見た韓国大使館

空海が開山したと伝えられる善福寺は、都内では浅草寺、深大寺に次ぐ古刹の一つ、鎌倉時代に親鸞が訪れて浄土真宗に改宗されたと言われています。本堂は300余年の歴史を持つ文化財的建物。他にも、樹齢750年以上、都内最大のイチョウがあるなど、見るものも多く、周辺は寺町の様相を見せています。

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ハリス逗留の記念碑
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都内最古、最大の銀杏の木

麻布散策のもう一つの目玉スポットは安藤記念教会です。
1917年創設の、都内でも珍しい石造りの教会です。創立者安藤太郎は、函館戦争で榎本武揚に従軍、明治政府の下で大蔵省、外務省に登用され、初代のハワイ総領事に就任しました。そこで基督教と出会い、洗礼を受けて、1888年にハワイで最初の日本人教会を設立しました。帰国後は日本禁酒同盟を結成して禁酒運動に取り組みます。建物は東京都指定の歴史的建造物に指定されています。
安藤記念教会の通りを北へ進むと西町インターナショナルスクールがあります。創立者の松方種子は松方コレクションで有名な松方家の出身、松方家は薩摩の出でした。

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安藤記念教会

麻布十番商店街は善福寺の門前町として300年以上栄えてきました。300余りの店舗が軒を連ね、昔ながらの飲食店や服飾店など100年以上の歴史を持つ老舗と、新しいショップが仲良くならんで、にぎわっています。大使館の多い土地柄、外国人も多く、国際色豊かな雰囲気をかもして人気の商店街です。

その一角に、「赤い靴」のきみちゃんの像があることをご存知でしょうか。
『知の木々舎 』に連載の『往きは良い良い、帰りは……物語』の中で、童謡「赤い靴」が取り上げられたことがありました。そこに書かれていたのは、野口雨情の作詞した「赤い靴を履いていた女の子」が「異人さんに連れられて行っちゃった」のはほんとうではなかったというのでした。
赤い靴の岩崎きみちゃんにまつわるエピソードはいろいろあります。
母親のかよさんが再婚した夫とともに開拓民として北海道へ渡る際、小さかったきみちゃんを連れて行くわけにもいかず、きみちゃんは横浜にある教会の宣教師の養女になりました。きみちゃんが6歳のとき、宣教師夫妻はアメリカに帰国することになりましたが、結核にかかっていたきみちゃんは船に乗ることは許されず、孤児院に預けられました。きみちゃんを看取ったその孤児院が麻布の鳥居坂教会にあったので、麻布十番商店街はパティオにきみちゃんの像をたてたのです。

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さすが麻布、パテイオもお洒落です。

幸薄かったきみちゃんを偲ぶ像は全国にあり、横浜や小樽、静岡、函館など岩崎家やきみちゃんに関わりのあった各所に置かれています。生き別れた娘のことを野口雨情に語ったかよさんは、きみちゃんが宣教師夫妻とともに幸せにくらしているものとばかり思っていたのでした。きみちゃんが9歳で亡くなった麻布鳥居坂教会の跡地には十番稲荷神社が引っ越してきました。

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十番稲荷神社
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十番稲荷の真向かいにある塩の店。店内には世界中の塩が集められている。

◆ご近所でフランス人の落語の会がありました。

週1回のサークル仲間がいつも利用するランチのお店のオーナーが、このたび初めて企画したというイベント、シリルコピーニ(日本名は尻流複写二)さんの落語会に誘われて、のぞきました。

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カフェ「ビヨンド」

演目は同時通訳の形で「寿限無」と「味噌豆」。
日本に住んで16年というシリルさんの流暢な日本語に客は感心しきりです。

自分は落語家とは言わず、あくまで落語パフォーマーだと謙遜(?)するシリルさん。師匠について苦労して修行し、前座から二つ目、真打と呼ばれるようになっていくのが本当の「落語家」なのだそうです。
演目そのものはどうということはありませんでしたが、手招きの仕方が日本とフランスではまるで逆、など、フランス人から見た日本人をマクラにしているのが面白く、独特の語り口も手伝って、興味深く聞きました。

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落語パフォーマー尻流複写二さん
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店の前でシリルさんと一緒に記念撮影。

一つだけ覚えていってと教えてくれたのが「サバ」というフランス語。魚のサバになれている日本人なら覚えやすいに違いないという心遣いでしょうか。
昔、女優で売りだしたばかりのイザベラ・ロッシーニが、コマーシャルの中で発する言葉が「サバ」だったことを思い出しました。あう人ごとに「サバ(元気?)」と声をかけていました。(彼女は今では父親と同じ、押しも押されもしない映画監督です。)スペルはça.va.
シリルさんは、最近では、フランス人の落語をききたいという声で、あちこちに呼ばれることが増えたということでした。

店のオーナーは、語学学校を経営している女性です。なので店では中国やインド、アメリカなどいろんな国の留学生が働いています。
いつも私たちのテーブルの世話をしてくれるのはドイツからの美人の留学生、コリンさんです。サークルのメンバーには、ご主人の仕事の関係でドイツに住んでいたというYさんや、昔スイスに留学していたHさんがいるので、毎回、ちょっとしたドイツ語の会話が弾みます。今や国際的には全く出番の無いドイツ語でも、おしゃべりとなれば別。コリンさんもうれしそうです。近くの学習館で私たちと同じようなサークル活動をしているグループもお昼に利用しているらしく、この日、会場にはそんなシニアの姿を沢山見かけました。


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