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雑記帳2018-4-1 [代表・玲子の雑記帳]

2018-4-1
都内唯一の渓谷、等々力渓谷をたずねました。

武蔵村山に端を発して立川を通る国分寺崖線は田園調布まで続いています。その崖線の果てる手前にある等々力渓谷は23区唯一の自然の渓谷として知られており、約1キロメートルに渡って遊歩道が整備されて、都民の憩いの場になっています。

東急大井町線等々力駅からすぐのところに、渓谷への入口があります。そこは、かって東急電鉄が開発したゴルフ場のあとを示すゴルフ橋のたもとです。

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渓谷から見上げたゴルフ橋

ここから渓谷へ高低差約10メートルの階段をおりていくと、とたんに「ここが東京?」の風景にぶつかります。
ケヤキやシラカシ、コナラ等の雑木が茂り、野鳥の声もきこえます。

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野鳥の案内板。このほかに地質や植生の案内板が随所にある。
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湧水のひとつ。

崖線には多くの湧水があります。等々力渓谷で一番の水量を誇っていたのは不動の滝です。この滝の轟く音が等々力の名前の由来になったと言われたほど、かってはここで滝に打たれる修験者もいたといいます。残念ながら湧水は年々へっているのが現状です。

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不動の滝

その不動の滝を開創以来有しているのが等々力不動尊です。平安末期の1100年ごろに開かれた霊場は等々力のお不動様として親しまれててきました。周辺には稚児大師堂や稲荷神社、役の行者を祀る祠もあります。境内から渓谷を見降ろすバルコニーはさながら小型の清水の舞台のようです。

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等々力不動尊
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バルコニーから崖下をみおろす。
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稚児大師堂

渓谷東側崖面には、古墳時代末期から奈良時代にかけて作られた古墳が幾つもみつかっています。中でも横穴3号墳は完全な形で残っており、人骨とともに耳環や土器などが出土しました。埋葬品の須恵器は1000度もの高温で精製されるもので、当時、朝鮮からもたらされたもの、埋葬者はこれらを多く保有していた有力者だと推定されています。

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横穴3号

田園調布へ続く渓谷周辺にはこの横穴3号墳以外にも、大塚古墳、御岳山古墳、狐塚古墳など、おおくの遺跡がみつかっています。中でも大塚山古墳は高さ10メートルもある堂々たる前方後円墳。方形の部分が小さいのでホタテ型古墳と呼ばれます。世田谷区は昔から住宅街として知られ、邸宅の立ち並ぶ街をあるいてみると、その坂のけわしさに驚くほどですが、多摩川を見下ろして坂の上に広がる街は、今も昔も、日当たりの良い一等地だったのですね。


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大塚山古墳
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邸宅の並ぶ街は坂だらけ

散策の最後は奥沢の浄真寺です。奥沢のこのあたりは戦国時代には奥沢城がありました。北条氏が滅びると同時に奥沢城も陥落。80年後城跡に創建された寺は九品仏として知られ、江戸じゅうの信仰を集めました。


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参道 奥に見えるのは総門
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総門にかかる扁額
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仁王門

佛堂が三宇あり、中央の堂に上品上生・上品中生・上品下生、北の堂に中品上生・中品中生・中品下生、南の堂に下品上生・下品中生・下品下生の計九品の佛像が納められていることから、九品仏の名前がついたのです。

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三宇ある佛堂の、これは上品堂
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それぞれの佛堂に3体の阿弥陀がおわす。階位に応じて手指の向きや組み方が異なるらしい。頭部が青いのは髪の毛を剃った頭をあらわしているのだそうです。

今年は気温が高く、まだ3月というのに、初夏の陽気。桜だけでなく、みかけたシャガやシャクナゲも満開でした。ちょうどこの日、気象庁は東京の桜が満開になったと発表しましたが、広い浄真寺の境内の桜はなかなか見ごたえがあり、秋には亦違った趣がありますよ、と、ガイドさんが誘うのでした。


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