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いつか空が晴れる №19 [雑木林の四季]

いつか空が晴れる
    ―High noon―
                                                            渋沢京子

九月は台風のシーズン。那覇から東京に向かう船が欠航して足止めになり、こちらは新学期にはまだ間のある、お気楽な学生の身分。一週間ほど琉球大学の寮に泊めてもらったことがあった。確かその頃、学生証を見せると、各地方にある国立二期校は、気軽に空いている寮の部屋に泊めてくれた。

出窓のついた洋館の広い一部屋を一人で占領して、毎日、首里や那覇の街を見物して歩いた。国際通りの屋台でソーキソバやゴーヤチャンプルで食事をとり、琉球大学の寮に戻るには、首里の石畳の急な坂を、息を切らして上っていかなくてはならない。後ろを振り返ると、家並の向こうに沖縄の青い海が見えた。
夜になると寮に残っている琉球大学の学生が宴会に誘ってくれた。話題はやはり米軍基地の事が多かった。彼らと話をしているうちに、米軍基地に対する考え方が、本土の私たちとは全然違うことに気が付いた。彼らにとっては切実な問題なのだ。

ある日、私は那覇からバスを乗り継いで米軍基地の近くに向かった。ガイドブックで、米軍が放出したレコードばかりおいてある通りがあることを知り、いいジャズのレコードがあるかもしれないと思ったのだ。

バス停から坂を上り、ようやくその通りを見つけた。真昼だった。通りはしんとして人っ子一人姿が見えなかった。ガイドブックにあるように、通りの両側は中古のレコード屋が並び、大概の店は閉まっているか、店の中が暗くてなかなか入る勇気はなかった。

店のショーウィンドウ越しに飾ってあるレコードを見ていたとき、突然視界が暗くなった。
気が付くと、4,5人の米兵に囲まれているのである。私のすぐ横に立っていた米兵の暗い目付きに、浮かびかけた微笑みも凍りついた。
こちらは無防備な短パン姿。咄嗟に私は走って逃げた、夢中になって坂を下り、細い路地を走りぬけ、ようやく人通りのある場所に来ても、暫く心臓の動悸はなかなか止まらなかった。

沖縄の米軍によるレイプ事件や殺人事件。新聞に出るのはおそらく氷山の一角なのだ、実際はどれだけ泣き寝入りした沖縄の少女たちがいただろうか?

そしてそういったことに関して、本土に住む私たちはどれだけ鈍感になっているのだろうか?


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