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雑記帳2017-7-1 [代表・玲子の雑記帳]

2017ー7-1

◆晴天の霹靂、予想もしなかった入院は意外にも快適!

6月11日、薄暮の頃、道路を横切ろうとして、不覚にも植え込みの木の根に躓いて転倒、左手首を骨折するという、どこかで聴いたような話をまるで地で行く事故が起こりました。

休日ゆえ、駆け込んだ病院で、簡単な検査と応急手当をしてもらい、(その時に言われました。「立派に折れています」)翌日、正式に整形外科を受診、入院、手術と相成りました。先生はレントゲン写真を見ながら、

「2本折れてますね。ばらばらです。あす入院してください。」

「入院って、どれくらいですか?(やばい、15日の更新にかかってしまう)」

「まあ、水曜日(14日)の手術で、数日で退院できますよ。」

「そんなに簡単なんですか。(よかった、それなら4、5日遅れで6月15日号が出せる)」

下手な胸算用をして、はればれと入院したのは、市内で一番新しい総合病院です。

駅にも近いというロケーションの良さは魅力的、4階の大部屋からはちょうど多摩都市モノレールが10分ごとに走ってくるのが見える、見晴らしのいい別の窓からはヤギのいる風景や、晴れた日には遠く山並みもみえると言う。

この時点では土曜日退院をもくろんで、退院さえすれば元通りとばかり意気軒昂でした。


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 部屋からはモノレールが見える。
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  あいにくのお天気で山は見えないけれど…、

しばらく縁のなかった間に病院の進化はめざましく、新しい建物はトイレを初め、設備はまことに快適です。部屋や廊下の洗面所に置いてある手ふきの紙も上質のテイッシュペーパーで、我が家よりもずっと贅沢でした。

骨折の手術なんぞ、本人にとっては重大事だけれど、医者にとってはたいしたことではない。呼び出しがあると、自分で歩いて手術室まで行く。ドラマのようにストレッッチャーになど乗せてくれない。部屋にはいると体育会系の先生がおまちかね。「やあ、いらっしゃい。」「先生、よろしくお願いします。」
若い美人の麻酔の先生の顔をながめているうちに、いつの間にか手術は終了。
唯一自分が病人だと思わされたのは、麻酔から醒めてトイレに行くとき、点滴のポールをひっぱって行かなければならなかったことだけです。その点滴も翌日の正午にはとれました。

入院中の楽しみは食事です。

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入院最初の食事

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手術当日は朝から1日絶食。術後初めての朝ご飯

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朝はご飯とパンが交互に出る。
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  1日1400Calの3度の食事メニュー。 130gのご飯は意外に食べごたえがある。

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月に一度は出るという行事食。6月の行事食は鯵に大葉、ゴマの混ぜご飯、デザートには葛饅頭。

病院は今やサービス業。入院患者が少しでも楽しめるように工夫をこらす。行事食もその一つなら月に一度のコンサートまであります。6月は琴の演奏でした。


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サロンの演奏会風景

術後3日目。土曜日の朝、顔を出した主治医は傷をみて、

「いつでも退院していいですよ。」

「(確かに言われたとおりだ。)そうおっしゃってもこの不自由さでは放り出されても困ります。せめて週明けにして。」

「ではそういうことで。ご家族にも説明しましょう。」

「今日の午後、娘がきますのでよろしくお願いします。」

夕方、仕事を終えて面会にきた娘夫婦にレントゲンをみせながらの説明は、「折れてずれた骨を持ち上げてボルトで固定したので、もう1本のずれていた骨もつられて持ちあがりました。あとはばらばらになっている骨が芽をだして、自然にくっつくのをまちます。抜糸の必要はありません。その間、しっかりリハビリしましょう。」

近頃は入院も退院も簡単なものです。

短い期間だったけれど、看護士さんの観察はたのしかった。若い男性の看護士も増えているようでした。

ちなみにまだ看護婦と呼ばれていた時代でも、男性がいなかったわけではなく、80歳代の知り合いの話によると、「僕の高校の同級生に3人、看護士になったのがいますよ。そのうち2人は精神科に行きましたが、1人は一般の病院でした。」

もう何十年も前だ、女性ばかりの「看護婦」さんの世界で、居心地は悪くなかったかしら。力のいる場面では、きっと重宝されただろうけど…

で、現在の若手男性の看護士さんは年寄りの扱いが上手です。4人部屋なので、聞くともなしに聞こえてくる会話がおもしろい……。

「○○さんのお食事には、調味料に僕の愛情をいっぱいいれてますからね。しっかり食べてくださいよ。」(○○さんは食が進まない様子でした。)

「△△さんは何でもわかってるんですね。覚えていないだけなんだ。いい性格してるなあ。ほんと、いい性格ですよ。」

高齢の女性患者に語りかける彼の声はとてもさわやかでした。

こうして、入院から1週間で、めでたく解放されることになりました。

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最後の食事(19日朝食)

退院してわかったことがあります。

退院をもとの状態にもどっていることだとばかり思っていたのは全くの間違いでした。

添え木をした左手は相変わらず三角巾で吊っていなくてはならず、おれた骨がつくまでは時間がかかり、少なくとも3か月のリハビリが必要なのだそうです。

落ちた筋力を回復するのは大変だと脅されながら、でも頑張ろう。

そんなわけで、『知の木々舎』196号になるはずだった6月下号の更新ならず、9年目にして初めて休刊になったことをお詫びいたします。7月上号が196号になりました。196号には、本来6月下号に掲載するはずだった記事もいくつか載せています。

◆以前『核無き世界を目指して』のコーナーに、丸木美術館学芸員の岡村幸宣さんと往復書簡「記憶への架け橋」を連載していた和泉舞さんが復帰しました。「気随気儘」のタイトルで『雑木林の四季』に登場します。

◆関千枝子さんと中山士朗さんの対話随想が、このたび、『ヒロシマ往復書簡第Ⅲ集』になって、西田書店より刊行されました。被爆71年目の昨年、オバマ大統領が広島を訪問してオバマ効果に湧きましたが、広島が観光都市ではなく、核兵器廃絶、恒久平和のために戦い抜く都市であってほしいという思いで結ばれています。お二人の対話随想は『知の木々舎 』紙面ではまだまだつづきます。

   『ヒロシマ往復書簡 第Ⅲ集2014~2016』  西田書店  1600円(本体価格)

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近藤明理

横幕編集長

骨は折れても、記者魂は折れず!!
生々しい病院レポート、さすがですね。
片手で撮影した写真も、ぶれてませんでしたね。すごい!
ご本人はさぞかし大変だったと思いますが、大変興味深く読ませていただきました。
折れた二本のうち、一本を固定すると、もう一本もつられて持ち上がるし、バラバラの骨から芽が出てくるなんて、実に面白いですね。
リハビリ頑張って下さい。
編集長も知の木々舎も、いつも応援しています。

by 近藤明理 (2017-07-03 21:34) 

chinokigi

心強い応援、ありがとうございます。リハビリ、頑張ります!
by chinokigi (2017-07-04 19:11) 

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