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にんじんの午睡(ひるね) №7 [文芸美術の森]

桜のこと

                                     エッセイスト  中村一枝

 今年の桜は遅い。スポーツ整形外科で通院している大井町の東芝病院の入り口は知られざる桜の名所である。病院の入り口だから垂れ幕も屋台もなくマイクも皆無。人が集まるわけでもなく、去年は本当にいいお花見ができた。今年もまた頃合いをみはからって病院の診察を予約したのに、この寒さ、枝の先はちぢかんだ花たちが肩を寄せ合い恨めしげに空を見あげている。
 若いころは桜が咲いているのを見てもああと思うだけ。何の感情も湧かなかった。年齢を重ねるごとにほのかなピンクの色合いや小さな花弁のひそやかに重なりあうすがたにも惹かれる。春というのは不思議な季節、すこしずつ寒さがはがれて行き、光が溢れ出す。ちぢかんでいた五感も手足も急に生き生きと元気をとりもどす。なぜだかこの時期はまた締めくくりの季節でさらに新しい事が始まる季節でもある。そんな時桜の開花はまるでうってつけのドラマでもある。
 私の誕生日は4月10日。まさに春らんまんの時に生まれた。そのせいか生来陽気である。子供の頃の私は、この時期というと床についている事が多かった。小さい時からの小児喘息で、日毎に春めいて行く明かるい外の景色をコンコン咳をしながら羨ましげにながめていた。40歳を境に喘息との縁がきれた。これはいまだに不思議である。病気とは縁が切れたが、代わりに年を取っていった。それまで関心のなかった桜に気持ちが動いていった。小学生の時戦争で伊豆の伊東に疎開した。伊東の町の中を流れる松川(別名音無川)の堤には桜が咲いていた。そのころは桜にはなんの興味もなかったが、川沿いの道を喘息に効く薬を持っているというお医者さんのもとによく注射に通った。花見なんて発想はまるで無かった。
 川沿いの我が家の先に川に降りる道があった。そこは一種の浅瀬になっていて、その小さな浅瀬で側に住む家の前のひとがお米を研いでいたりした。すぐそばに掘っ建て小屋があり母親と二人暮しの女の子が住んでいた。わたしよりは2~3歳上のしいちゃんという女の子だった。病気をしたせいで年よりすこし遅れているという話だった。しいちゃんはいつもうすよごれた短いワンピースを着てそこいらの男の子の様に飛び回っていた。顔は汚れて真っ黒だった。そのしいちゃんの家の前にひと抱えもありそうな大きな桜の木があった。それは見事な桜だったはずだ。そこからかなり離れている私のうちが借りている大家さんの家のほうまで花びらがとんでくるほどだった。でも戦争中のあの時代だった。もし桜が食べられる木だったら、日本中から桜の木は消えていただろう。
 しいちゃんは頭はすこし遅れていたかもしれないが、一旦川の中に入るとまるで人魚のように自由自在に川の中を泳ぎまわった。泳ぎのできないわたしはそんなしいちゃんを羨ましさと、一種の畏敬の念をこめて見つめていた。 私の家の隣の男の子たちも普段はしいちゃんをバカにしても一旦水の中に入ると、しいちゃん、しいちゃん、と後を追い回していた。水の中から岩の上に立ちあがったしいちゃんはぼたぼた棚水の垂れるワンピースから小麦色のしなやかな長い足が覗いていて、私はその頃そんな言葉は知らなかったがいまでいうカッコの良さに見とれていた。しいちゃんは事故か何かで割合早く亡くなったと聞いだ。あの掘っ建て小屋 と桜の木、エメラルドグリーンに光っていた川の淀み。私など怖くて近づけなかったのにしいちゃんは底のみえない水の中をスイスイと泳いでいた。はるか昔の遠い話なのに桜の季節になると私はこのことを思い出す。
 桜には様々の思いを膨らませ揺さぶってくれる不思議な力が宿っている。私は国粋主義は好きではないし、何かにつけてそれにつなげるような人たちはもっと嫌だからあまり言いたくないけれど桜はすき、です


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