SSブログ

徒然なるままに №16 [雑木林の四季]

四月は「巣立ち、旅立ち」の時機である

                          エッセイスト 横山貞利

 今年もまた四月を迎え、「巣立ち、旅立ち」の時機になった。入園式、入学式、進級、入社式など新しいスタートに向かって第一歩を踏み出す。そうした出発は意義深く、それぞれの人生への第一歩として終生忘れ得なことである。特に「小学校の入学式」は一生忘れ得ない出発ではないだろうか。小学校入学とは、親の庇護から巣立ってヨチヨチ歩きであっても人生への第一歩を踏み出す区切りなのである。その道は決して平坦ではなく楽な道程ではない。山あり谷ありの隘路の連続であろう。それでも、その道以外には選べる道はない。だから、歯をくいしばり一歩一歩確実に歩いていかなくてはならない。
 兎に角、人生行路は常に凪ばかりではなく、強風や大波浪の嵐のほうが多いだろう。それでも悪戦苦闘しつつ自らの目標に向かって進んでいかなくてならない。そうした体験を通して独立した個人として自らの実存を追及して確立しいくのである。
 それが人生だ。

 わたしは、1944年(昭和19)に長野県松本市立田町国民学校に入学した。小学校は1941年(昭和16)以来「国民学校」と称され、わたしたちは「少国民」と呼ばれていた。こうした動きは日中戦争の泥沼化そして太平洋戦争への序章であったように思う。
 「国民学校ハ皇国ノ道二則リテ初等普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲ為スヲ以テ目的トス」(国民学校令第一条)。
わたしは何も解らないまま少国民であった。例えば、神社の前では直立姿勢で立ち最敬礼した。そうしたことを誰かに教えてもらったわけではなく無意識の裡にやっていた。勿論「国家神道」のことなど知らなかったから、大人がやっているのを観ていたのかもしれない気もするが記憶はない。
 さて、田町国民学校(小学校)であるが、正門は東側に通用門は南側にあった。正門に立ってみると、校庭(グランド)の先に木造2階建ての校舎が南北に建っていて1階の部分だけ真ん中が1教室分開いていた。その空いている部分の先に「奉安殿」があって、そこには「昭和天皇、皇后」のご真影(写真)と「教育勅語」が奉納されていた。そして校舎の南北には渡り廊下があって児童の登降口つづいて体育館があった。南の体育館には広い教壇があり正面には白木の長い扉があって学校行事や祝祭日には「ご真影」が移された筈だが、扉が開けられることはなかった。教壇の中央には大きな机が置かれ、そこには紫の袱紗に包まれた白木の箱がおかれていた。その中には「教育勅語」が入れられていた。
学校行事―入学式、卒業式それに学期の始業式、終業式など、祝祭日―紀元節(2月11日)、天長節(4月29日)、明治節(11月3日)などには、先ず国歌「君が代」を全校児童が斉唱する。そして校長が袱紗に包んだ箱を捧げで最敬礼をしてから徐に袱紗と箱を開けて奉書紙に書かれた「教育勅語」を両手に捧げて朗読した。勿論「教育勅語」の内容など解るはずのなかったが、当時はこれが最高の儀式(仕来り)であった。その間、児童たちは直立不動の姿勢で整列しなければならなかった。こうした式次第は翌年1945年(昭和20)8月15日に太平洋戦争が敗戦で終わるまで続けられた。そして気がついた時には奉安殿とともに正門の右側にあった二宮金次郎の石像も取り払われていた。奉安殿があったところにはコンクリートが拳大に砕かれていたのを憶えている。
 「教育勅語」は1948年(昭和23)に衆院「教育勅語等排除に関する決議」、参院「教育勅語等の失効確認に関する決議」により排除・失効が決まった。
 わたしは、2年生のときには女性教員の小林先生のクラスになった。多分小林先生は戦争で男性教員がいなくなったので代用教員として赴任されたのではないかと思う。翌年の1946年(昭和21)4月に3年2組毛涯章平先生のクラスになったが、その時には小林先生は居られなかったように記憶している。わたしにとって毛涯先生は人生を考えることや生き方を教えて戴いた師匠である。現在も毛涯先生の教えが基本であり指標になっているように思う(毛涯先生ついては「浦安の風42「恩師 毛涯章平先生」参照)。
 田町国民学校は翌年の1946年(昭和21)には田町小学校になった。尚、田町小学校は1960年代終わりころに開智小学校に合併されてなくなった。
 
 これが、戦時中の小学校(国民学校)時代の体験であった。この体験こそわたしの人生において、すべての出発点になっているように思う。

  「巣立ちの歌」                 「旅立ちの日に」
   詞 村野四郎 曲 岩河三郎          詞 小嶋 登  曲 坂本浩美
.
 花の色 雲の影                  白い光の中に山なみは萌えて
  なつかしいあの思い出              遥かな空の果てまでも君は飛び立つ
 過ぎし日の窓にのこして                限りなく青い空に心ふるわせ
 巣立ちゆく今日の別れ                 自由を駆ける鳥よふり返ることもせず
 いざさらば さらば先生                 勇気を翼にこめて希望の風にのり
 いざさらば さらば友よ                  このひろい大空に夢をたくして.
 美しい明日の日のために     


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0