出会い、こぼれ話 №38 [心の小径]
第37話 破廉恥
教育者 毛涯章平
「破廉恥(はれんち)」とは、辞書によると「恥を恥とも思わぬこと」とあります。
したがって恥を恥とも思わない人のことを「恥知らず」または「破廉恥漢(はれんちかん)」ともいいます。
昔から、家庭・学校・地域での子どもの教育の中で『恥を知れ』ということは極めて大切な教訓の一つであったといわれます。
ふしだらな格好をしていたり、やるべきことをしなかったりすると、子ども同志が「恥くそ恥くそ」と言い合ったものでした。
また、食事のとき、ご飯をこぼしたりすると、お年寄りが、
「お米を租末にすると、お天とう様の罰が当たって、目がつぶれるぞ」
と言って、食べ物に対する慎しみをしっかり教えてくれたものでした。
そのほか、日常生活の中で「そんなことは恥ずかしいぞ」とか、「人さまに笑われるぞ」などと、気軽に声をかけてやって、やがて子どもたちが自らを正していけることを願っていたのです。
これらは、おそらく昭和二十年の敗戦を境に、しだいに失われてきたと言われています。
しかし、「恥を知る」心は時代を超えて、人間が生きていく上に、特に大切な心がけであるはずです。
しかるに今日「恥知らず」がいかに多くの人の心を傷つけ、社会を汚濁していることでしょうか。
彼等の犯す罪を「破廉恥罪」といって「詐欺・窃盗・贈収賄lがその例とされています。ですから、現在世の中に、いかに多くの「破廉恥罪」が横行していることが、驚くばかりです。
今こそ、これからを生きる人間にとって、「恥を知る」ことの大切さを教えられて育つ幼少年時代をもつことが、どんなに大切なことかを痛感する昨今であります。
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