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いつか空が晴れる №10 [雑木林の四季]

いつか空が晴れる-セビジャーナスー(K先生のこと3)
            ―すなわち、生とは生き残りです。~デリダ

                                            渋沢京子

 毎朝、先生は新聞を丹念に読む。
 「私は外国に長くいただろう?だからいつも政治は関心があるんだよ。毎朝、こうやって新聞を隅から隅まで目を通して、オカシイと思ったところは必ず赤線を引いておくんだ、アンタもそうやって新聞を読むといいよ。」
 先生の新聞は赤線と?マークがたくさんついている。
 「この間も、予算の使い方がオカシイと思ってね、だって国民の税金だよ?なんであんな無駄使いするんだろ。腹が立ったから、車を運転して国会に文句を言いに行ったんだよ。」
 「私は政治がオカシイと思うと必ず国会に文句を言いに行くんだ。」
 そうすると国会議員は話を聞いてくれるんですか?
 「またあの変な婆さんが文句言いに来たと思うんだろ。国会に行くといつも議員会館でお昼をごちそうになって帰ってくるんだよ。それが議員会館の食事って結構、おいしいんだよ。」
 玄関前に止めてある先生の赤い車は、国会に文句を言うために置いてあるのだった。

 私は先生から舞踊の才能は受け継ぐことができなかったが、常に政治に関心を持ってオカシイと思う習慣だけはしっかりと受け継いだ。ただし、私は先生のように単身で国会に乗り込んで文句を言う度胸はなく、せいぜいデモに参加する程度。
 「何しろ私は大恐慌を経験しているだろ? 銀行なんかには怖くってお金を預けられないよ。」
 先生が亡くなった後、古いお弟子さんたちで家を片付けに行ったら、古新聞紙の間から一万円札がパラパラとたくさん出てきた。しかも先生は時々、古新聞の間に一万円札を挟んで貯蓄していることを忘れてゴミと一緒に出していたこともあったらしい。しかし、先生が古新聞の間に挟んで貯金したお金はその後フラメンコ舞踊基金になったのだから、銀行ではなく古新聞貯金だって役に立ったのだ、と思う。
 先生の話はそのまま生きた歴史だ。明治に生まれ、大正、昭和をダンサーとして国際的に活躍して、女性解放の先駆者のような生き方をした先生。もっともっといろんな話を聞いておけばよかったと悔やまれる。

 「私はもう年とってしまっただろう? 身体がきかなくなってきたので、今度は頭を鍛えることにしたんだよ。身体はダメでも頭はいつでも鍛えることができるからね。」
 ある日、先生はまるで新しい発見をしたかのように喜んでいる。
 「それで頭を鍛えるためにさ、哲学がいいと思って、哲学の本を買ってみたんだよ。哲学って面白いねえ。・・世の中にはまだまだわからないことがたくさんあるんだねえ。世界って不思議で面白いねえ・・・」
 先生は本を取りに行った。人生論とかそういう本だろうと思っていたら、先生が持ってきたのはジャック・デリダの本だった。
 私は驚いた。
 「先生、ジャック・デリダって難しくなかったですか?」
 「そうそう、わからないところは赤線を引いておいたよ。アンタに聞こうと思ってたんだ。」
 本をぱらぱらめくると、ところどころにびっしりと赤線が引いてあって?マークがついている。とても丹念に読みこんだ形跡がある。
 「先生、私は授業でとったことあったけど、難しくてよくわからなかったです・・」
 「そうかい?丁寧に読んでいれば、おおよそ何が言いたいかなんてなんとなくわかるものさ。哲学って実に面白いもんだねえ。」

 先生が持ってきた本がどんな本だったかは忘れた。それにしてもなぜ、ジャック・デリダだったのか? 当時はポストモダン思想の全盛期。大きな書店の哲学コーナーに行けば必ずポストモダン思想の本が並んでいた。先生はそこで偶然にジャック・デリダの本を選んだのか、私が先生との雑談の中で哲学の話をしたのか、今になってはすっかり忘れてしまった。

 先生について書くにあたって、再びジャックデリダを読んでみる。やはり難しい・・
先生の「・・・世の中にはまだまだわからないことがたくさんあるんだねえ・・面白いもんだねえ・・」はジャック・デリダを理解したうえでの発言だったのか、あるいは理解できなくても面白いという意味だったのか、先生が不在になった今は分からない。

 しかし私は、大雑把でも先生は理解されていたのじゃないかと思っている。
 何しろ先生は子供のように真っ白な心と、ダンサーとして鍛えた身体による抜群の勘の良さをお持ちだったのだから。


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