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シニア熱血宣言 №80 [雑木林の四季]

三分一湧水に山菜を求めて

                                      映像作家  石神 淳

 熊本地震の発生から、千回以上もの余震が続いている。被災者の生活状況を思うと、日々心が痛む。少しでも力になれないものだろうか。日本国民のそれぞれが、そう考えていることだろう。
  テレビの〇〇募金への心ばかりの寄付でお茶を濁しているが、こう大規模な異変が、異常とも思えるほど、日本列島を襲ってくると、相互の助け合いによる救済方法を改めて考え直さねばと、思うのだが、あなたはどうお考えだろうか。心でそう思っても、なかなか実行できぬのもまた事実だ。しかしながら、突然襲ってくる自然災害は、いつ我が身に襲いかかってくるわからないから、明日は我が身と思わなくてはならない。

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                            新緑のgradation

  雪に埋もれていた山々に、待ちわびた春が訪れると、山肌に淡い紅色の絵の具で染めたように、山桜が目覚める。春の陽差しで茶褐色に見えるのは、散り行く花びらを追いかけるように出番を待つ、落葉樹の芽吹きで、閉ざされた心を解きほぐす。
  日本の四季の移ろいは、古来から心豊かな国民性に根ざしている。だから、その豊かな心優しい色彩に引かれて、外国からの観光客が訪れる。「フジヤマ芸者・寿司・天ぷら」は、もう一昔前のことだ。
  その美しい日本列島が、突然に想像もつかない異変を引き起して暴れまくる。自然は、華麗な美しさと悪魔の爪を合わせ持つから始末に悪い。
  災害は、日本列島の隅々までを襲う負の偶然だから、その悲劇が深刻化してもいることを予期して、もっと互いに助け合える制度を確立しなければならない。納税義務者が、年間一万円でも拠出して、純粋な国民義援金として積み立て、個々の被災者 の復興に役立てるべきだ。一カ月にわたる熊本地震の現況を知り、つくづく身につまされた。
  その発想は、隣組精神に似た助け合いて、日本人が被災者を個人的に支援する、心からの義援金制度を是非設けたい。

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                             蕗の薹
 
  蕗の薹など、山菜が採れる季節になると、雪が消えるのを待ちわびて山に出かけるのが恒例になっている。歳をとるほどに、山菜の複雑なほろ苦さが、長い人生のほろ苦さのように思えてくる。最近では、人の手で栽培した蕗の薹や蕨に、えぐみ(野性味)が感じられなくなってしまって残念だ。人間が手を加えた作物は、多かれ少なかれ、年々野性味が失われ、便利ではあるが、野菜類などは、季節感が失われてしまった。  
  それでも、上越や信越地方では、過疎の農道に踏み入れると、驚くほどの蕗の薹が群生していて驚くばかりだ。春は駐車場になる、赤倉スキー場の土手にも、蕗の薹が花畑のように芽吹き、つくしんぼう(土筆)も、天ぷらにしてみたら、こんなにも春を感じさせる山菜と感激させられた。

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                      三分一湧水(八ヶ岳山麓)

  山梨県八ヶ岳南麓湧水群の三分一湧水は、三つの村落に湧水を分けた地域で、湧水と天然の蕨などを体感できる。四季を通しての湧水巡りも楽しいものだ。
  旅に出かけるときは、10?のポリ容器を車に乗せてゆく。市販のペットボトルの自然水とは異なり、採取した湧水には、天然のミネラルを感じる。緑茶や紅茶を入れると、その魅力はまことに顕著で、旅の原動力にもなっている。
 東京都東久留米市の南沢湧水も、鉄分が多くお茶に最適なのだが、飲用の安全性が不明確なので、あえて紹介を憚からせていただく。
 80歳を迎え、だんだんと足元があやしくなってきた。しかし、とぼとぼ歩きにしても、ささやかなる目的があればこそ、何とか明日も生き続けて行けるだろう。
 さて、ご同輩のみなさん。不安・不満・苦難を、乗り越えて行こうではありませんか。


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