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高畠学 №52 [文化としての「環境日本学」]

いのちのマンダラ 2

                                                               嶋田文恵

  風土と祈り

 星さんは「祈りの心を失っていない人たちがいる地域では、大規模な自然破壊は行われない」と言う。
 「祈り」とは何か。確かに高畠には、「いのちのマンダラ」を映し出す、目に見えない小さな生物が無数に生きている田んぼを大事にする人たちがいる。子供たちを愛し子供たちの未来のために、いのちと農の教育を実践している人たちがいる。きれいな川と山を維持し、蛍とカジカ蛙を愛護する人たちがいる。土地で取れた新鮮な野菜やコメをおいしく料理する知恵や技術を継承する人たちがいる。この上地の気候、作物、土、はたまた歴史など何でも知っている「人間国宝ともいうべき文化と知恵のかたまりの人(伊澤校長)」がいる。そして何より安心と幸福に満ちた笑顔を見せる子供たちがいる。先祖の人々は「章木塔」いうモニュメントを刻み、人と草木のいのちのつながりに感謝してきた。高畠の「糸たちはその地に「共に生きる」ことに、愛情をたっぷり注いでいるように見える。
 「祈り」とは、まさにこのことなのではなかろうか。すべてのいのちは、自然(宇宙、神、人間を超越したもの)によって生かされ、また自分もその一部であることを自覚(無意識にも)していること。万物は自然の調和によって生かしあっていること。それが「祈り」であり、その心が、高畠には連綿と継承されてきたように思う。
 このように思うとき、まさに明治初期、まだ近代化が屈かぬ東北の地を旅したイギリス人女性、イザベラ・バードが越後から小国峠を越えて置賜盆地に入ったときに記した風景が重なる。
 バードは「米沢平野は、南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉場の赤湯があり、まったくエデンの園である。〝鍬で耕したというより鉛筆で描いたように〟美しい」「実り豊かに微笑する大地であり、アジアのアルカデヤ(桃源郷)である」「美しさ、勤勉、安楽さに満ちた魅惑的な地域である」「どこを見渡しても豊かで美しい農村である」などど、この地方を記している。
 実際にはただ美しいだけでなく、そこには先祖たちの幾多の苦労があったことと思う。しかし今回初めて高畠を訪れた旅人である私は、バードがこの地域に対して抱いた感情と、
ほぼ同じ感慨を持って高畠を体験したのである。これはこの地に「祈り」の心が連綿と引き継がれてきたことを意味していないだろうか。

 近代の向こうにあるものと農業

 星さんを中心に高畠の人たちがたどってきた軌跡をみてきた。農民として身をもって体験した農化学薬品の健康被害によって、星さんと仲間たちは有機農業を学び、先駆者としての多くの困難と闘いながらも、その「本物度」を証明し、有機農業の社会的認知を広げてきた。「点」が「面」になり地域社会に広がり、教育や文化に影響を与え、それが町や県という行政をも動かす力となった。
 ここから何を学ぶか。一つは、「一人の人間の意識が社会を変えていく」ことである。それも「足元から」だ。一人の人間の本物の意識は、周りの人々の意識を変え、さらに地域社会の意識を変え、もっと大きな単位の人々の意識を変えていく。その意識の変革が社会の変革を促していく。そうした力が私たち一人一人にもあるのだ。そのことを犀さんと高畠のみなさんは教えてくれたように思う。
 私が学んだ二つ目は、「パラダイムの転換」「近代の向こうにある新しい社会の創造」としての、一つのモデルを高畠に見たことである。それは、農業・教育・福祉・産業が共に生きる「共生社会」としてのモデルである。それはその土地の資源、生活様式を活かした「内発的発展」でなければ難しいように思える。なぜなら近代化の要請は、伝統的な生活様式を持つ地域社会・地域文化をある意味「破壊」することだったからである。
 近代の限界と矛盾が明らかになった現在、日本の産業構造の変革、とりわけ食糧自給の問題が急を要するが、それを実現するためには、国民の意識の変革が必要である。エコブームという時代の後押しは、エコビレッジ、農家民宿やレストランのブームに見られるように、若者や退職者の農指向、自然回帰を促している。「文化は都市にある」のではなく、「文化は農村にある」に人々の意識は変わってきた。それはまた人々が、地域社会での「共生」=つながりの再構築を求めている現われのようにも思える。星さんはこのことを「生命文明への転換」と表現した。
 私たちが大きな歴史の転換点に立っていることは、誰もが意識していることだろう。ではこれからどこに向かっていこうとしているのか。それは、単に近代を否定し逆行する道
ではない。私たちに近代を通ることでしか見えなかった者、わからなかったものがたくさんある。近代という時代を通過したからこそ向こうに見えてきた道。その一つの道をすでに歩いてくれる先達たちが、「タカハタ」にいたのであった。

『高畠学』 藤原書店


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