修誠の人・小山敬三 №47 [文芸美術の森]
浅間山風
小諸市立小山敬三美術館館長 小林秀夫
1966年 F40 油彩画 69才
画伯は軽井沢のアトリエでたくさんの浅間山の絵を描いたが、いずれの作品にも「千変万化する噴煙、飛雲」が描かれている。山を遮る雲が去るのを待って描くのではなく、雲とともにある山の美しさをスケッチしている。画伯のスケッチ帳には、数多くの雲が描かれているが、中でも「雲中富嶽」のためのスケッチは、雲のスケッチ帳のようである。
この作品は40号の大きさだが、ほぼ同じ構図で小品も残している。
この年、「小山敬三日本画展」(日本橋三越)を開催している。
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【小山敬三画伯略歴】
1897(明治30年)長野県小諸町(現在の小諸市)で醸造業(現在「信州味噌―山吹味噌―」)を営む23世小山久左衛門正友の三男として生まれた。上田中学校卒業後慶応大学予科に入学したものの、芸術家への思い絶ちがたく、反対する父を説得して川端学校に入学した。その後、父と親交があった島崎藤村の勧めもあって、8年間フランスに留学した。
フランスでは、アカデミー・コラロッシュでシャルルゲランに師事して、絵画の基礎を固めた。留学中サロン・ドートンヌに入選、のちには会員・審査員にもなった。また、フランス人マリー ルイズと結婚。
帰国後は茅ヶ崎にアトリエを建て、そこで多くの名作を描いた。1936年二科会を退会し安井曾太郎らと一水会を創立した。その後日展などで作品を発表。日展評議員、理事を歴任した。1960年には日本芸術院会員、1970年文化功労者。1971年小諸市名誉市民となった。1975年には小山敬三美術館を建設し、作品と共に小諸市に寄贈。同年、文化勲章受章、1976年には茅ヶ崎市名誉市民となった。1987年89歳で死去。
代表作は「浅間山」「白鷺城」の連作。グランドプリンスホテル新高輪には画伯が85歳の時に描いた「紅浅間」(縦4メートル横12メートル)がある。
【小山敬三美術館】〒384-0804 長野県小諸市丁221
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