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気ままにギャラリートーク~平櫛田中 №17 [文芸美術の森]

《新春》 

                         小平市平櫛田中彫刻美術館 
                                         学芸員 藤井 明

平櫛田中「新春」.jpg

 

 平櫛田中は長寿の人としてよく知られていますが、三人の子供のうち長女と長男を結核で早く亡くしています。
 満18歳で亡くなった長女の幾久代(きくよ)さんは、色白の美しい女性で、肌が浅黒かった田中はよく知人から「本当にお前の子か?」とからかわれたそうです。幾久代さんは当時としては珍しくフランス語を勉強していて、田中は将来長女の案内でフランス旅行をするのが夢でした。
 長男の俊郎(としお)さんは将来父親のような彫刻家になりたいという希望を抱いていましたが、死期が近づくと「自分は彫刻家になることができなかったので、父さんは自分の分まで長生きしてたくさん作品をのこしてほしい」と田中に思いを託し、満17歳の若さで他界しました。
《新春》は、田中がそのような悲しみの淵に沈んでいた時期に作られた作品です。田中にとっては珍しい動物を単体であらわした作品で、あどけない顔をした仔犬が四肢をふんばり、薮柑子(やぶこうじ)の茎をくわえて懸命に引っ張っています。当時田中の家で飼われていた仔犬でしょうか。
 この作品の正確な制作年は分かりませんが、同じ傾向の作品が井原市立田中美術館に二点あり、ともに昭和元年の制作であるため、本作品も同じ時期に作られたと考えられています。つまり、元号が改まった年に作られたようなのですが、それがこの作品のタイトルである「新春」やモチーフの「仔犬」にも関係づけられて、新たな時代や生命に対する田中の意識が制作の動機になった様子が浮かんできます。
また、仔犬が口にくわえている薮柑子は、冬にも果実をつけるその生命力の強さから、「長寿」という意味があるそうです。
《新春》は、むくっとした体つきの仔犬が無邪気に遊ぶ姿を写した作品なのですが、こうした制作背景を考えると単に仔犬の可愛い仕種に心を奪われて作ったのではなく、田中の切なる思いがこの作品に込められているように思えてきます。
その後田中は長男との約束に応えるように数多くの作品をこの世にのこし、昭和54年に満107歳で亡くなりました。

* * * * * * * * * * * *                                                                       平櫛田中について 

平櫛田中は、明治5年、現在の岡山県井原市に生まれ、青年期に大阪の人形師・中谷省古のもとで彫刻修業をしたのち、上京して高村光雲の門下生となる。その後、美術界の指導者・岡倉天心や臨済宗の高僧・西山禾山の影響を受け、仏教説話や中国の故事などを題材にした精神性の強い作品を制作した。
大正期には、モデルを使用した塑造の研究に励み、その成果を代表作《転生》《烏有先生》など。昭和初期以降は、彩色の使用を試み、「伝統」と「近代」の間に表現の可能性を求め、昭和33年には国立劇場の《鏡獅子》を20年の歳月をかけて完成した。昭和37年には、彫刻界でのこうした功績が認められ、文化勲章を受章する。
昭和45年、長年住み暮した東京都台東区から小平市に転居し、亡くなるまでの約10年間を過ごした。昭和54年、107歳で没。


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