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多くの皆様に支えられて [創刊5年の春に]

知の木々舎 は誕生まる5年になりました。

2009年、立川から文化を発信したいと、公民館の運営審議委員を務めていた主婦たちがあつまって、立ち上げたのがインターネットマガジン『知の木々舎』 です。名称は、武蔵野の雑木林にさまざまな木々が生い茂るように、多様な知のあり方を人々に提供したいとの思いから名づけたもので、「くらしの中へ句読点」を旗印にしました。月2回の更新を重ね、4月15日で120号、まる5年になりました。
後見人の鈴木茂夫さんの人脈をたよりに、無償で原稿をお願いすることからはじめましたが、僅か3、4人からのスタートでした。鎌倉の浄智寺に朝比奈宗泉師をおたずねしたのが昨日のことのようです。5年を経た現在、ご縁を頂いた執筆者は100人ちかくになりました。
写真家のいだようさんの季節の写真を表紙において、今の形ができるまで、試行錯誤が続きました。目次の記事の下のURLをクリックすれば読みたい記事に飛べる仕組みもつくりました。著名な作家や詩人の著書からの転載だけでなく、書き下ろしの記事が増えてきました。 遠く、パリやサンパウロ、台湾からもメールで原稿が届きます。「文芸美術の森」「雑木林の四季」「ことだま五七五」「核無き世界を目指して」「文化としての環境日本学」「ふるさと立川」に分類した内容は「他に類を見ない多様性とレベルの高い教養マガジン」と称されるようになりました。「ふるさと立川」はいま、「ふるさと立川・多摩・武蔵」までエリアを拡げました。
どこに宣伝するすべもないまま、読者は徐々にふえ、この3月には、月刊読者16000人、毎日の訪問者は500人をこえています。総アクセスは170万にもなりました。さまざまな知が『知の木々舎』 に集い、草の根のメデイアに成長したのです。
創刊3年目には知の木々舎文庫を創設して「浜田山通信」を発行、その後、「言葉あそび入門」を電子書籍にしました。、5周年を迎えた今年は電子書籍を中心に、文庫の拡充を考えています。インターネットマガジンとして出発した『知の木々舎 』は、ネットならではの特性を活かした試みにこれからも挑戦していきたいと思っています。執筆者、読者をはじめ多くの皆様にささえられたことを感謝しつつ・・・。

                               『知の木々舎』代表  横幕玲子                                                            幹事      小林マサ・竹内英子 

            *   *   *   *   祝辞   *   *   *  *

在台湾・高雄  何 聡明                                                                   同窓の畏友鈴木茂夫兄より横幕玲子さんが創設された「知の木々舎」へ台湾から寄稿しないかとアプローチがありましたので、拙い日本文でよければとお受けしてから何年たったか忘れていましたが、横幕さんから5周年が近づいていることを知りいささか吃驚した次第。但し自分が何年寄稿をしたかは漠然。
 台湾からのお知らせということでしたが、時には外国紀行なども交えてしまい失礼しました。だが同じ外国を旅行をしても台湾人と日本人の見方と考え方は同様でありえないと思い、読者の参考になるかと思い敢えて寄稿しました。これからも続けて寄稿させて頂きますが、台湾の特殊な時局に対応するため、八十路をゆうに越した今でも何かと多忙であるので、今までどうりに毎月の寄稿はご容赦願い、隔月の寄稿に努めたいと思っています。
 今年の3月1日に横幕さんから総アクセスは167万を超えたとお知らせがありましたが、これからもアクセスは益々伸びるに違いありません。横幕さん、鈴木兄ご苦労様でした。これからも元気で頑張って下さい。

在ブラジル・サンパウロ   ケネス・リー (李 渭賢)
 「知の木々舎」の皆様五周年記念おめでとうございます。
 鈴木茂夫先生のご縁で「知の木々舎」とお近づきできました私ですが、それは私の人生に緊張をもたらしたことでした。手元にあるメモ、2009年5月17日に鈴木先生より電話を頂き「知の木木舎」への寄稿お誘いがありました。身近な日常のことでよいから云々、寄稿と言ってもその様な経験がなく、文章を書くのは別世界のこと、長年のサラリーマンから定年退職した自分には平凡な余生しか考えていませんでした。とにかく書いて鈴木先生に先に見ていただきと寄稿したのですが、「サンパウロ街角から」の欄を設けられ、「エッセイスト」の肩書までおまけが付きました。その後は、正直申して、書いては休みのゲリラ寄稿で、昼夜分かたず頑張って居られる皆様には申し訳ない気持ちです。そして横幕玲子様より「知の木々舎」の創立、活動の説明を伺ってびっくり、主要メンバーが皆女性、ボランテーであることでした。因みに、「知の木々舎」のBlogに「立川市の熟年の女性が創出した小さな市民組織です。私たちは、それぞれにささやかな小遣いを拠出して経営しています」とあります。五年も続いた「小遣い(ヘソクリ? 失礼!)」の大きさに驚いているのですが、このNet  Magazineの内容が年とともに充実され、執筆者の素晴らしさ、テーマの多様性、本当に格式高いものです。また、「代表・玲子の雑記帳」にて知らされるように、その活動の範囲が広く、多方面に亘っており、季節ごとに各地を訪問され写真を交えた記事にして読者に季節の美しさ、地方の歴史を伝えてくださいます。それはまた外国に住む人たちには日本の自然の美しさ、隠れた庶民の風俗習慣を知らしめるのです。その努力に敬服せざるを得ません。それだけではありません。ここブラジルと東京とは12時間の時差があります。こちらが午後でもそちらは夜中過ぎです。その頃に横幕様のSkype is onのサインがPCに現れること屡屡、一体このお方は何時休まれているのかと案ずるのですが、その献身のお働きに只只脱帽。2010年10月に東京訪問の機会がありその時に鈴木先生にお願いして横幕様を紹介していただきました。その華奢なお体の何処にあのエネルギュシュな活動力があるのか驚いたのですが、それは使命感からのものでなければできないことでしょう。また、顧問役の鈴木茂夫先生のよきご指導のもとに今日の成果があることも覚えねばなりません。完璧主義の先生の指導下、幹部の皆様の苦労は察して余りあります。五年間本当にご苦労様でした。これからもよろしくお願いたします。
 「隣人への奉仕」、Give and Takeのこの世の中にあって誠の奉仕をすることは容易ではありません。キリスト教の聖書に「受けるより与えるほうが幸いである」とあります。
 天の父なる神様の御祝福が「知の木木舎」の皆様にありますよう遠くから祈り申しあげます。

中村一枝
 夫が亡くなった次の年に『知の木々舎 』からお声をかけて頂いた。それまでメ-ルはやっていたが、パソコンに就いては素人同然で、できるのと思いながらついお引き受けして既に3年がたつ。ああ、締め切りだ、締め切りだ、なんて、作家みたいなことを口走って快感を覚えた。いつも原稿はギリギリセーフである。その度に、『知の木々舎 』スタッフの横幕さん、たぶん、他の方にも目に見えないご負担をおかけし続けてきた。私のような者の文章を読んでくださる方があると思うと、やっぱり心が浮き立つ。インターネットマガジンの妙である。
 五周年、本当におめでとうございます。今まで続いてきたのはひとえに横幕さんはじめスタッフの方々の誠実さと熱意のたまものだと思います。これからも、心頼みにしております。がんばってください。

野村勝美                                                                          私は知の木々舎 のおかげで5年も生き永らえることができ、ただただ感謝あるのみです。最初、何か書けと言われ、ジャーナリズムから身を引いて何10年もたったモーロク爺さんに何ができるかと固辞したのですが、400字3枚ばかりの文章でもネットに掲載されるとなるとあれこれ調べなければならず、おかげさまで呆けないでこられました。
 知の木々舎 という名称にも当初戸惑いを感じ、「知」の分野は私のいちばん苦手な所と思いました。しかしいろいろ調べたり、人さまの話を聞いたり、本を読んだりしているうちに、いや知の世界こそ人間にとって、とくに老人にとって楽しく、興味のつきないものであることを知りました。
 一文にもならない、というより持ち出しになるネットマガジンを、月2回も更新し続けてこられた横幕玲子代表と同人各位に満5周年をお祝いすると同時に深甚なる敬意を表します。

在パリ・嘉野ミサワ                                                                   「知の木々舎」が創刊5年を迎えるとの事、心からお祝いを申し上げます。ここ迄充実した形に持って行くご苦労はさぞや大変なものだった事とお察し申し上げます。読み応えの在るものが多く、私が常に興味を持っているテーマで書かれたものが多いので、ついつい続けて他の方々のものも読む事が多いのです。つまり私と気が合うと云う事でしょうか。

 私が参加したのは2011年の年の暮れ、2012年の年頭号からでした。東北大災害を受けて、パリで何か役に立つことをしたいと、二つの音楽会を開いて日本大使館を通じて赤十字に寄付した後、久しぶりの日本の土を踏み、沢山の友人たちとも会ってお互いの健在を確認しました。その中で、母親同士が親友だったと云う理由で、生まれる前から友達となる宿命だった中村一枝が、すでに”知の木々舎”に書いていた事からこれが大いに二人の話題になりました。

 日本からフランスに来る時に依頼されて何年間か通信文を送っていた”美術手帖”や”みづえ”のあと、フランス国立放送局の日本語放送開始から記者となり、それからフランスの雑誌と提携して創られた”マリー•クレール•ジャポン”のための中央公論社のパリ事務所を預かったのでしたが、社長の死と共に中央公論社もなくなり、フランスやスイスの新聞•雑誌に書く方が多くなっていました。でもそこでは編集長との問題やいろいろの事がありました。原稿の処理に付いて秘書と決めたつもりのものが、出版されてみるとまるで違う扱いになっていたり、それで編集長に憤慨をぶつけると、”あれは秘書のやったこと”と交わされのです。秘書を監督するのこそ編集長であり、責任は編集長にあると思うのですが、それが聞き入れられないのです。日本人の様に一人一人がきちんと責任を持って取り組む所など世界に日本以外には無いのかも知れません。

  こんな時に東京で聞いてきた”知の木々舎”の事を思い出して、その友人を通じて横幕さんをはるかに知ったのがそもそもの始まりでした。編集長にとっては私のような劣等生でいつもいつも低空飛行な上に、持っているコンピューター迄があるじに似て問題ばかり、いや使い方が悪いと云う事でしょうか、いつも日が迫ると、わたしの云う事を聞かなくなるのです。その厄介な書き手を、大変お忙しい方なのは充分お察しするのに、いつも嫌な顔一つせずに本当に最後迄できるだけの事をして下さる。それは会わなくてもはっきりとわかるのです。そして逆にこちらを勇気づけて下さるような優しい一言、今回のはこのところがいいとか、写真が素敵とか言葉をつけて下さる心遣い、フランスの別な生き方に慣れているから余計に強く、嬉しく感じるのかも知れませんが。そして何よりも私に取って大切な事、フィーリングがぴたっと会う時は余計な説明は必要でなくなると云う事です。

  でもこの5周年記念の集りに出席できたら横幕さんのお姿も今の様に想像だけでなくなるのに行かれないのが残念でなりません。この”知の木々舎”が此れからもますます発展し、多くの方の共感を呼び、更に豊かなものに膨らんで行く事を祈っております。それにつけても横幕玲子さん、これからもよろしく、どうぞがんばり続けて下さい。                      bonne anniversaire !
                     


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笠井康宏

横幕さま、こんにちは。5周年おめでとうございます。これからも益々のご発展を心よりお祈りいたします。今後とも宜しくお願い申しあげます。
by 笠井康宏 (2014-04-18 15:51) 

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