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西洋百人一絵 №12 [文芸美術の森]

 レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」

                    美術ジャーナリスト、美術史学会会員  斎藤陽一

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                                                                                                                                               画家としてのレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)には、完成作はきわめて少ないが、その中で1点だけを選ぶとすると迷ってしまう。初期の「受胎告知」には、その後のレオナルドの芸術思想と技法のすべての芽生えが見られるし、完璧主義のレオナルドが思索を重ねていざ作品を完成させると、「岩窟の聖母」のような多義的な深みを持つ宗教画が出来上がる。修道院の食堂の壁に描いた「最後の晩餐」は、ラファエロがヴァチカンに描いた壁画とともに、盛期ルネサンスに確立された古典主義絵画を代表する絵である。
 だが、やはり「モナ・リザ」を無視することは出来まい。“世界で最も有名な絵”と言われ、さまざまな伝説に彩られた謎めいた作品である。

 「モナ・リザ」のモデルについては、これまでにいくつもの説が出てきた。中には、レオナルドの自画像説まである。しかし近年では、その題名の由来どおり、フィレンツェの商人ジョコンドの妻リザということで落ち着いたようだ。とすれば、本来ならばこの絵は、注文主である商人に渡されたはずなのだが、実際は、死ぬまでレオナルドが手元に置いておき、筆を加え続けたものなのである。

 レオナレドはおそらく、生まれてすぐに母親から引き離され、母を知らずに育った私生児である。彼の、母性への強い憧れは終生続いた。だから、彼が女性を描くときには、このような思いが昇華して、この世のものならぬ女性像として結晶する。
 おそらく当初は、「モナ・リザ」も具体的な女性をモデルとして描くことから出発したのかも知れないが、描いているうちに、現実の女性の個人的な特徴を消しいき、時には複数の女性や内なる母性のイメージを重ね合わせたりして、終生手を加え続け、ついには、普遍的な人間像に到達したものではなかろうか。
 さらにそこには、科学者としての思索も潜んでいる。たとえば、背景の幻想的な岩山は、左右では趣きを異にして描かれており、これを《宇宙の始まりと終わり》あるいは《宇宙の生と死》、《人間の生と死》という具合に読むこともできる。
 レオナルドは膨大な手稿を残したが、その中には、彼が太陽や月などの天体を観察して推理したメモがある。それらを読むと、レオナルドは、ガリレオより1世紀近くも前に、「地動説」寸前のところに至っていたことが判る。当時の教会は、聖書にもとづいて「天動説」を絶対的な教義としていたわけだから、これは恐るべき《異端》である。レオナルドにとって、何としても他に知られてはならないことだった。

 「モナ・リザ」は、そういうことをすべて内に秘めて、「私だけが知っている」と、かすかに微笑んでいるのである。とすれば、これはレオナルドの精神的自画像とも言えよう。
                                                                      

(画像)レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」(1503年頃着手。ルーヴル美術館)


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