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西洋百人一絵 №11 [文芸美術の森]

ボッティチェリ「春」

                     美術ジャーナリスト・美術史学会会員  斎藤陽一

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                                                                                                                                                  フィレンツェのウフィッツィ美術館はルネサンス絵画の宝庫だが、とりわけ至宝と言われているのがボッティチェリ(1444/45~1510)の二つの作品、「春」と「ヴィーナスの誕生」である。
 かつては、二つとも、全面に塗られていたニスが化学変化を起こして黒ずんでいたが、1980年代に行われた洗滌作業の結果、見違えるように明るく、鮮やかな絵となった。
 「春(プリマヴェラ)」(1482年頃)と「ヴィーナスの誕生」(1485年頃)とは、制作年代に違いはあるものの、同じ思想にもとづいた対の作品と考えられている。その思想とは、ルネサンス期に台頭した「新プラトン主義」であり、これは、古代ギリシャ哲学、とりわけプラトンの思想と、中世に確立されたキリスト教神学とを融合させようという哲学であった。フィレンツェでメディチ家の庇護を受けて研究に没頭したフィチーノなどが「新プラトン主義」の代表的な哲学者である。
 たとえば「春」の画面のいたるところに、その思想が読み取れる。紙数の関係で詳述できないが、たとえば、この絵の中心にいるのは《地上のヴィーナス》であり、一方、対の作品「ヴィーナスの誕生」に描かれているのは《天上のヴィーナス》である。この二つのヴィーナスに、それぞれ、《地上における肉体的・感覚的な愛(俗愛)》と《天上における神聖な愛(聖愛)》を象徴させているのである。これを《人間界の愛》と《神の愛》と読み換えてもよい。ここには、古代ギリシャのプラトンの「愛」の思想をバネにして、中世以来のキリスト教神学に哲学的骨格を与えようとする試みが見られる。
 厳格な一神教であるキリスト教の教えが強く支配的だった中世では、元来「ヴィーナス」は異教であるギリシャ・ローマの多神教の女神であり、しかも、彫刻などでは全裸あるいは半裸で表わされたため、“みだらな女神”と排斥されていた。
 それが今やルネサンスの時代では、新しい役割を担って、哲学や神学のみならず、芸術の主役の一人として躍り出たのである。
 もちろん「春」も「ヴィーナスの誕生」も、中世の名残りを濃厚に漂わせながらも、ルネサンスの春を謳いあげた、繊細で優美な名作である。その感覚的な美しさの中に、どこか一抹の憂いが感じられるというのも、ボッティチェリ固有の感性のあらわれでもある。
 「春」は、今もって謎の多い作品であり、さまざまな読み取り方が出来て興味は尽きないが、今回は、“絵画制作という仕事は、きわめて知的な作業であり、かつ時代を反映するものである”ということを示す、ほんの一面だけを紹介した。

(図像)ボッティチェリ「春」(1482年頃。フィレンツェ、ウフィッツィ美術館)


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