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西洋百人一絵 №1 [文芸美術の森]

チマブーエ「荘厳の聖母」

                           美術ジャーナリスト、美術史学会会員  斎藤陽一
                                     
これから、西洋絵画史に登場する画家たち100人それぞれの作品を1点ずつ選び、その魅力や見どころなどを気ままに綴っていくことにしたい。「百人一絵」というタイトルは、云うまでもなく日本の和歌集『百人一首』をもじったものである。だから、歌留多を一枚ずつ拾うような気楽さで読んでいただきたい。
とは言え、時代背景などにも触れながら、ほぼ時代順に取り上げていくつもりなので、続けて読んでいただけるなら、西洋絵画史をたどれるようにしたいとも考えている。

 さて、絵画の歴史の始まりは、はるか昔の原始時代の人たちが、狩猟の幸を祈って洞窟に描いた呪術的な壁画にまでさかのぼる。
しかしこのエッセーでは、《ルネサンス》から始めたい。それは、中世が言わば“画家”たちが無名性、職人性の中で仕事をした時代だったのに対して、次のルネサンスにおいては、芸術家たちはそれぞれ個性を持った創造的な作家として、その名前が社会的に認知されるようになったからである。

 そのトップバッターとして登場するのは、チマブーエ(1240/50~1302/03)。まだ中世末期にあったイタリアで活躍した画家である。
取り上げる作品は、彼が描いた「荘厳の聖母」と呼ばれる祭壇画である。ルーヴル美術館のグランドギャラリーと呼ばれる大回廊に展示されているこの絵を初めて見たとき、私は、424×276cmという大きさに驚いた。と同時に、この絵に、中世からルネサンスへの変化と新しい絵画の芽生えをはっきりと見ることができた。

 そもそも中世の祭壇画には、強い規範があった。画家たちに求められたのは、何よりも超越的な存在である「神」を描くことであり、聖母マリアや幼子キリストと言えども、絶対的な力を秘めた威厳のある姿で描くことが至上命題とされた。
 したがって、描き方にも一定の決まりがあった。たとえば、「人体は、その価値に従って、大きさが異なる」(比例無視の大小の原則)とか、「聖なる人物は、正面を向いて厳粛な姿勢をとる」(正面性の原則)、「人物たちは、空間や時間を超越して、平面に配置される」(平面性の原則)などの規範である。さらに、人物たちの背景は、ほとんどが金地か無地に描かれた。
 つまり、中世絵画の原理は、反自然主義であり、観念主義であり、一種の抽象主義とも言えるものであった。(それがまた、中世絵画の何とも言えない魅力の源泉なのだが。)
 中世末期の画家であるチマブーエのこの絵も、まぎれもなく、そのような中世絵画の伝統的性格を帯びている。
 では、この絵の新しさとは、どんなところなのか。
 まず、聖母や幼子キリスト、その周りに配置された天使たちの顔つきを見ていただきたい。いずれも、目元や口元に柔らかな微笑をたたえており、何とも言えない人間味のある表情となっている。これを礼拝する人々を威圧するようなところは少しもない。
 次に、聖母マリアの身体の造形表現に注目してほしい。ちょっと首を傾げて、やや横向きにこちらを見ている姿は、いかにも女性的で、慎ましやかである。さらに、聖母の着ている衣装のひだの濃淡や曲線からは、柔らかい女性の身体の丸みと量感さえ伝わってくる。つまり、この聖母は、厳格な「神の母」ではなく、現世に生きる優しい母のようであり、キリストもまた「天上の主権者」ではなく、可愛い男の子のように描かれている。「神を表現する」ことから「人間を表現する」ことへ踏み出しているのである。
 このような表現こそ、「人間発見の世紀」といわれるルネサンス時代の絵画表現に先駆けるものであった。
 チマブーエは、中世の硬い殻を破って、新しい一歩を踏み出した画家であり、このエッセーのトップバッターに登場してもらったゆえんである。

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         チマブーエ「荘厳の聖母」(1270年代。424×276cm。ルーヴル美術館


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久保田 哲子

大変興味深く拝見しました。一人ずつ覚えていきたいと思います。
by 久保田 哲子 (2014-01-11 21:28) 

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