修誠の人・小山敬三 №30 [文芸美術の森]
花と壺展から・・・竹かごと「胡蝶蘭」
小諸市立小山敬三美術館館長 小林秀夫
日本の竹工芸は、幕末から明治頃にかけて基礎ができ、しだいに芸術性の高い作品が作られるようになっていった。この竹龍は、時代の矢竹を用いた逸品と言える。
小山敬三画伯は、胡蝶蘭の絵について次のように語っている。
「胡蝶蘭の白は独特、清純そのもので高貴の感がする。描くのに厄介ではあるが花がだんだんに咲き、胡蝶の飛んでいる趣と連続するリズムに興味がある。清純の気持ちを表すと同時に、正動の表現をしたいと描いたものだ。(談)」
この「胡蝶蘭」は、小山敬三画伯が描いた花の絵の中では特別に大きく、30号のキャンバスに描かれている。
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【小山敬三画伯略歴】
1897(明治30年)長野県小諸町(現在の小諸市)で醸造業(現在「信州味噌―山吹味噌―」)を営む23世小山久左衛門正友の三男として生まれた。上田中学校卒業後慶応大学予科に入学したものの、芸術家への思い絶ちがたく、反対する父を説得して川端学校に入学した。その後、父と親交があった島崎藤村の勧めもあって、8年間フランスに留学した。
フランスでは、アカデミー・コラロッシュでシャルルゲランに師事して、絵画の基礎を固めた。留学中サロン・ドートンヌに入選、のちには会員・審査員にもなった。また、フランス人マリー ルイズと結婚。
帰国後は茅ヶ崎にアトリエを建て、そこで多くの名作を描いた。1936年二科会を退会し安井曾太郎らと一水会を創立した。その後日展などで作品を発表。日展評議員、理事を歴任した。1960年には日本芸術院会員、1970年文化功労者。1971年小諸市名誉市民となった。1975年には小山敬三美術館を建設し、作品と共に小諸市に寄贈。同年、文化勲章受章、1976年には茅ヶ崎市名誉市民となった。1987年89歳で死去。
代表作は「浅間山」「白鷺城」の連作。グランドプリンスホテル新高輪には画伯が85歳の時に描いた「紅浅間」(縦4メートル横12メートル)がある。
【小山敬三美術館】
しなの鉄道小諸駅または小海線小諸駅下車 懐古園内 徒歩10分
上信越自動車道 小諸インターチェンジから10分
***「小山敬三記念小諸公募展」のお知らせ***
公募作品展10/27~11/24
問い合わせ:小山敬三美術館内事務局 0267-22-3428
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