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私の中の一期一会 №40 [雑木林の四季]

宮崎県西都市の「第8回西都原このはなマラソン大会」を知っていますか
 ~多くの癌サバイバ-達が楽しみながら走る“癒しのマラソン大会”~

                          アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 私が親しくしている佐藤義之先生は慶應大医学部卒の産婦人科医だが、免疫学の研究者でもある。
 1984年、主治医を務めていた患者の卵巣ガンが消滅したとき、自分の医学常識では考えられないことだと思ったそうだ。何故このようなことが起きたのか?・・この回復症例を機に「人が持つ自然治癒力」に気付き「免疫の勉強会」を立ち上げ、改めて研究するようになったという。
 2人に1人が「発ガン」する時代に薬学から見放されたガン患者に免疫療法を試み、幾つもの成功例を残しているドクターなのである。そして、今からでも遅くないガン対策として「心の免疫と自然治癒力」をテーマに講演「免疫の話」をするようになって久しい。私はこの免疫講演会をよく聴きに行く常連の一人になった。この先生の凄いところは、日本橋浜町で「日本橋清州クリニック」([電話] 03-3808-2288)を開業しながら、毎月の第4土曜日に秋田県の玉川温泉で、奇数月の第3土曜日にクリニック近くのビルで、更に宮崎に飛ぶこと年4回と、精力的に「免疫」の講演をして回る“熱意”である。名刺には「医療はアナログだ! これが当院のモットーです」と書かれているが、講演会の全てがボランティアだと知ると「今時そんなお医者さんがいるとは・・」と驚いてしまうのだ。
 講演会を聴きに来る人の大半は、当然ながら“癌を抱えている人”か“癌克服の経験をもつ人”である。私のような心臓病患者や肝硬変でなど大病を患った人も混じるから毎回会場は満員に膨れ上がる。
 3月9日、私は佐藤義之先生一行に混じって宮崎市へ行った。薬師寺の山田法胤管主に「癌サバイバル説法・イン・宮崎」という法話をお願いしたら快く引き受けてくださったので、司会も兼ねて参加して欲しいと先生から依頼があったからである。
 10日の日曜日に行われた山田法胤管主の法話はユーモアを交えて、病気には心の免疫が一番大事で「ガンを人に治して貰おう」と考えるより、ガンとの向き合い方を変え「自分で治す」という気持ちを持つことが第一歩だ。感動が心の免疫になる、笑いも心の免疫になるなど・・というものであった。
 会場に1971年生まれの杉浦貴之さんという青年がいて、自身のガン克服体験を披露したが印象に強く残る話だった。
 28歳の1999年1月、腎臓ガンと分かり「余命は早くて半年、2年後の生存率0%」という宣告が両親に告げられた。すぐ手術を受け、化学療法を2クール経験したが、ショックの両親を見て「絶対ガンを治す」と決意する。退院後、本当の自分とは何かを求めて旅に出る。途中、5度も腸閉塞に見舞われ苦しんだが、持ち前の逆境に強い精神力で乗り越えてしまった。宮崎市に住むようになったのは旅の途中で立ち寄った宮崎の地に惚れ込んだからだそうだ。宮崎で出会ったガン克服者に元気を貰ったり、枇杷温灸(枇杷の葉の成分がガンに効くとのこと)の治療を受けたりと多くの人のお世話にもなってきた。2005年1月、多くの人を元気づけたいと、命の雑誌「メッセンジャー」を創刊し編集長になる。
 杉浦さんは、その年の12月に「大学時代に一度走ったホノルルマラソンにまた挑戦したいという夢を実現させたが、この時から見違えるように元気になった。「走れるほど元気になったのではなく、走ったから元気になった。何よりもまず動くことだ」が口癖になった。
 私の手元には「メッセンジャー」の40号記念特集号「あの人は今も輝いている」がある。全43ページの至るところにガンを克服しようとマラソンなどに挑戦している声が掲載されている。
 進行性の胃ガン告知を受けた射場恵美子さんは、杉浦編集長の影響で走り始め,西都原このはなマラソン、綾町照葉樹林マラソンと次々に走破。2010年には、杉浦さんの企画した「がんサバイバルホノルルマラソンツアー」に参加。サポーターの皆さんを置き去りにしてゴール!すっかり自身がついたと書いている。この方は告知から8年で、手術に踏み切り胃と胆のうを全摘したが、奇跡的にリンパ節の転移はゼロであったという。今は受け身ではなく自ら生き抜く方法を探そうとする姿勢になったとのこと。
 9年前、22歳で進行期の血液ガン(ホジキンリンパ腫4期)と診断された牧野かおりさんはトライアスロンに挑戦するがんサバイバ-・アスリートとして頑張っている女性である。治療後は歩くこともままならない状態だったが、2008年宮古島のトライアスロン大会(水泳3キロ、自転車150キロ、マラソン42キロ)を完走したとのこと。
 「ガン=死じゃないですよね。余命を言われても、生きること自体を諦めて欲しくないです。病気や残りの命に囚われているより、好きなこと、やりたいことがあったらやっちゃいなよということです。ベッドの上で出来ることだってある。人間って出来ない理由や逃げ道を探しちゃうけど、病気になったからという理由で夢を諦めたくないです」とインタビューに答えている。20代の若い女性だからかも知れないが精神力の強い人なのだろう、素晴らしいなあ、きっとガンを克服してしまうに違いないと思いながら記事を読んだ。
 「母のガンをキッカケに私の人生は大きく変わりました。2010年の「がんサバイバルホノルルマラソン」に参加したとき、多くの方々がご夫婦で参加されていました。そんな皆さんを見て、私もパートナーとホノルルを走りたいという憧れを持ち、ひそかに妄想したりしました。自分でもビックリですが、その願いは案外早く叶ったのです。2012年1月に結婚式を挙げ、今年の2月には子供も生まれました。」ガン患者ではないが、がん患者サークル「HINAの会」で活動している荒井尚美さんの一文だ。
 17日に行われる「第8回西都原このはなマラソン」にたくさんのガン患者やガン経験者が参加するようになったのは5回大会ぐらいからだそうである。走ることによって体温が上がり、末端まで血の巡りが良くなる、筋肉もほぐれて免疫力がアップするとのこと。このマラソンは癒しのマラソン大会でもあるから「楽しみながら走る」のが目的で、タイムを競うものではない、ゴールして感動するのも大事なのですと関係者は述べていた。
 笑福亭松鶴の10番弟子にあたる笑福亭小松という上方の噺家が胃ガンを手術した後、鹿児島県庁から北海道庁まで3000キロを徒歩で歩く旅に出ることを計画、医者は「暴挙だ」と止めたが何度も倒れながら歩き通して話題になったことがある。ガン克服に成功して「がん落語」を売り物にして活躍したこともあった。千葉市で「ガンの市民講座」があった時、その小松がゲストで、私は司会者だった。
 聴けば無茶苦茶な行動にしか思えなかったが、ガンが消えたと聞いて妙に感心した覚えがある。この噺家は、1996年に覚醒剤使用で逮捕され破門されていて、元落語家になっていたとはネットで見るまで知らなかった。
 命の雑誌「メッセンジャー」編集長の杉浦貴之さんは、いつも次のようにアドバイスするそうだ。
 1)元気になるのを待つのではなく、動けば元気は後からついてくる。
 2)自分のためだけでなく誰かのためにも元気になろうと考えるのが良い。
 3)辛かったこと、苦しかったこと、口惜しかったことを人に話しなさい。決して一人で抱えてはいけない。
 4)治療、入院生活を辛いチャレンジと捉え、逆境の中に敢て楽しみを見つけて欲しい。
 5)何故ガンになったかを深く見つめ、ガンの必要ない環境を作っていくこと。
 6)治すことだけを目標にするのではなく、治った後に叶えたい夢。又は、治しながら、どんな夢を叶えたいかイメージすること。
 悪性リンパ腫に苦しむ私の親友に、これらの言葉を伝えようと思っている。
 佐藤義之先生は今週末、再び宮崎に飛び、「西都原このはなマラソン大会」のゴールで癌サバイバ-達を待ち受けるそうである。「アナログ医療」とはそういうものかと私は思った。


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笠井康宏

藤田さん、おはようございます。ガンは日本人の2人に1人の割合でなる病気です。ガンの特効薬は残念ながら未だに開発されていません。原発事故で癌患者が増えることは必至です。ガンといえば、辻本英守さんを思い出します。辻本さんは週に何度か特別コーチでジムに来て頂きました。酒が目茶苦茶好きで、会長曰く「酒飲みチャンピオン」でした。会長「あんまり飲み過ぎちゃ駄目だよ」といつも気遣っていました。酒の飲み過ぎが祟ったのか、59歳の若さでお亡くなりになりました。会長が面会に行くと末期癌で、体重は35キロになっていたそうです。今年の8月31日で10周忌になります。豪快な辻本さんの関西弁が聞けなくて残念です。
by 笠井康宏 (2013-03-16 04:29) 

chinokigi

笠井さま
辻本英守ですか、何度も実況した思い出があります。
トリッキーなボクシングだったけど、面白い男でした。
結構仲良くしましたが、酒飲みだったとは知りませんでした。
沼田君と思い出話が出来たら最高かも知れませんね。
杉崎君が会う機会を作ると言ったのに忘れているみたいです。パンチの打たれ過ぎかも・・
村田がプロ転向と聞いて、ちょっとがっかりしています。   藤田


by chinokigi (2013-03-16 21:56) 

笠井康宏

藤田さん、おはようございます。コメント有難うございます。辻本さんは会長より一つ年上ですが、会長が弟のように面倒を見る感じがしました。対戦もあり、会長の判定勝ちだったそうですね。エキシビションマッチもよくやったと話してました。やはり、杉崎さんは忘れていましたか…。杉崎さんの連絡待ちでした。私の方は前以ておっしゃって頂ければ、仕事の休みを変えることも出来ます。お会い出来る日を楽しみにしております。
by 笠井康宏 (2013-03-17 01:41) 

笠井康宏

藤田さん、こんにちは。藤田さんは昔、辻本さんと食事だけをされたのでしょうか?ジムの近くの「ふれあい通り」で下駄を履いてヨタヨタと歩いていたのを何度も目撃しました。[ウッシッシ]近所では「名物おじさん」だったのかも知れません。[ウッシッシ]豪快な辻本さんを思い出しますと、懐かしさと寂しさか込み上げて来ます。
by 笠井康宏 (2013-03-19 12:11) 

笠井康宏

藤田さん、おはようございます。WBCはプエルトリコに敗れて、藤田さんのおっしゃる通り3連覇は出来ませんでした。私が感じたことは、「何処の国が優勝してもおかしくない」ということです。「内川の大チョンボ」が大きく取り上げられていますが、負ける時はこんなものです。選手の皆様には「お疲れ様」と言いたいですね。
by 笠井康宏 (2013-03-20 08:00) 

笠井康宏

藤田さん、おはようございます。ただでさえ佐藤先生の講演が満員なのに、藤田さんの司会がプラスされたとは、参加者の方々は一生忘れることの無い最高だったものに違いないと思います。私も参加したかったですね。羨ましいです。
by 笠井康宏 (2013-03-28 09:16) 

笠井康宏

藤田さん、こんばんは。今日で辻本さんがお亡くなりになり10年が経ちました。昔、ジムの新年会で嬉しそうに酒を飲んでいた光景が忘れられません。辻本さんのコップに酒を注いでも注いでも浴びる様に飲んでいました。藤田さんのおっしゃる通り、話が面白かったです。豪快な関西弁を連発させていました。しかし酒は程々が良いですね。
by 笠井康宏 (2013-08-31 22:48) 

笠井康宏

藤田さん、こんばんは。午前中に大沢悠里のゆうゆうワイドを車で聴いていました。今日のコメンテーターが鳥越俊太郎さんでした。鳥越さんのコメントが何時もの感じと違い、声を出すのが苦しそうに聞こえました。ガンの手術をされたので私は大変心配です。藤田さんに戴いたコメントに鳥越さんが登場されますので、身近に感じます。藤田さん、鳥越さんに「お体に気をつけてください。」とお伝えください。
by 笠井康宏 (2014-01-27 23:17) 

笠井康宏

藤田さん、こんばんは。愛川欽也さんが肺ガンでお亡くなりになりましたね。俳優、司会とマルチに活躍されていました。映画監督もされていたのは知りませんでした。トラック野郎で菅原文太さんと共演されていたのが、特に印象に残っています。カメラの前で煙草を吸っているのを何回か見た気がします。やはり、煙草は肺ガンを誘発しますね。喫煙者と禁煙者では10年寿命が違うそうですね。昭和から平成にかけての名優を失いました。御冥福をお祈りいたします。
by 笠井康宏 (2015-04-17 17:17) 

笠井康宏

藤田さん、おはようございます。女優の川島なお美さん(54)が胆管ガンでお亡くなりになりましたね。ワイン好きで有名でしたが、やはり飲み過ぎはガンを誘発すると思います。元女子プロレスラーでタレントの北斗晶さん(48)も乳癌で右側の乳房の全摘出手術を行いました。芸能界は不規則な生活を余儀なくされるのもガンになる確率を上げていると思います。ガンの特効薬が開発が待たれます。
by 笠井康宏 (2015-09-25 06:35) 

笠井康宏

藤田さん、こんばんは。笑福亭小松が8月3日に心筋梗塞で死去と出ていました。57歳まで生きられたのが奇跡だそうですが、それでも早過ぎると思います。借金に覚せい剤で破門と無茶苦茶な人生だったのでしょうね。
by 笠井康宏 (2015-09-28 17:50) 

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