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軍隊と住民 №40 [雑木林の四季]

法律家の動き 2

                                     弁護士  榎本信行 

 そして、六九年一二月に第一次訴訟が捏起され、以後第三次訴訟まで捏起された大阪空港公害訴訟である。
 その第一次訴訟の請求の趣旨はつぎのようなものであった。

   請求の趣旨
  一、被告は、大阪国際空港を、毎夜午後九時から翌朝午前七時までの間、一切の航空機の発着に、使用させてはならない。
  二、被告は、別紙当事者目録記載の各原告に対し、
  (1)金五〇万円、及びこれに対する本訴送達の日の翌日から支払いずみまで、年五分の割合による金員
  (2)昭和四五年一月一日から、被告が、大阪国際空港において、午後九時以降翌朝七時までの間の一切の航空機の発着並びにその余の時間帯において、騒音が原告らの居住地域で六五ホンを超える一切の航空機の発着を禁止するまで、毎月金一万円の割合による金員
をそれぞれ支払え。
  三、訴訟費用は被告の負担とする。
   との判決並びに仮執行の宣言を求める。

 要するに夜間飛行差止と爆音による損害賠償の支払いの請求である。昼の騒音は構わないというのではない。「せめて」夜だけでも飛ぶのをやめてくれというのである。
 法理論の面では、この訴訟では第一に人格権・環境権の存否と内容、航空機輸送の公共性、空港管理権の意義などが争われた。その経過、争点に関する問題点などは、多くの論稿があるので本書では省略する。
 七四年九月二七日、大阪地裁は、ほぼ原告の請求どおり爆音による損害の賠償と夜間飛行の差止を認めた。

    主 文
  一、被告は、別紙二の第一ないし第七記載の原告らのために、大阪国際空港を、毎夜午後一〇時から翌日午前七時までの間、緊急その他やむを得ない場合を除いて、航空機の離発着に、使用させてはならない。
  二、被告は、
    1 別紙二の第一表記載の原告らに対し、それぞれ金五七万円および内金五〇万円に対する昭和四八年六月二三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を、
    2~6(中略)
   をそれぞれ支払え。
  三、前記原告らのその余の請求並びに原告…の請求はいずれもこれを棄却する。
  四、訴訟費用は全部被告の負担とする。
  五、主文第二項及び第四項は仮に執行することができる。
    (以下略)

 夜の九時からが、一〇時からになった点、将来の損害賠償請求が棄却された点以外はほぼ原告の請求が認められたのである。

 大阪空港訴訟は、七五年一一月二七日の大阪高裁判決での住民側全面勝利のあと、周知のように八一年一二月一五日の最高裁大法廷判決で終了する。差止請求は却下されたが、差止請求の却下については、学界をはじめ、世論の強い批判を浴びたのである。
 この判決には裏面史がある。担当した第一小法廷は原告側全面勝訴の判決を書く予定であったが、当時の岡原昌夫長官(検察出身)から大法廷に回付したらどうかという提案があり、結局大法廷に回付されて、数年後差止却下の大法廷判決が出されるに至ったという。行政に対する配慮がはたらいたことは間違いない。(註8)

 これらの公害反対闘争は、低迷する基地反対闘争に大きな影響を与えた。特に大阪空港公害訴訟の影響は、大きかった。「横田基地爆音訴訟の会準備会」は、この訴訟に触発されたもので、大阪空港型訴訟の提起をするための準備会であった。
 同会は、昭島市、福生市の住民で組織されたものであるが、七二年五月に自由法曹団、青年法律家協会、この年一月結成された全国公害弁護団などの弁護士の協力を得て前述堀向地区で公害実態調査を実施した。さらに、この年の六月、準備会の切田勇事務局長と盛岡嘩道、川口巌両弁護士は、大阪国際空港訴訟の現地に調査にいき、ここの活動家と交流してきたのであった。そして裁判闘争の厳しさをつぶさに実感してきた。その調査報告に基づいて、準備会としてはいまだ提訴には時期尚早であるという結論に達したのであった。裁判費用、住民の組織化、法理諭の構成、証拠の収集、いずれをとっても不安であるという結論であった。そこで裁判を提起する前にもっと地道な運動を進め、さまざまなハードルをクリアーしてから提訴しようということで、その年の一一月の「横田基地爆音なくす会」結成に至るのである。日夜激しい爆音にさらされている住民にとってはまことに歯がゆいことであったが、やむを得なかった。
 大阪空港公害訴訟第一審判決に関しては、大阪空港では既に現実に夜一〇時からは緊急時以外離着陸が禁止されていたこともあって、大阪の原告団は夜九時からの差止が認められなかったことから「敗北」と認識したが、横田周辺の住民は大勝利と受けとめた。軍事基地であるという重みを考えると、横田基地周辺住民にとって大阪空港第一審判決は、模範とすべき大勝利だったのである。そしていよいよ横田基地周辺でも提訴しようという機運が盛り上がったのである。
 爆音なくす会のある会員は、つぎのような「お座敷小唄」の替え歌を作った。これは今でも歌われている。
   大阪伊丹の爆音も
   東京横田の爆音も
   昔にかわりがあるじゃなし
   受ける被害はみな同じ(以下略)

 盛岡暉道弁護士は、基地公害訴訟提起のための体制作りをするため、七三年一二月わざわざ住居を騒音の激しい堀向地区に移し、住民の一人となって住民の組織化、証拠収集などに身を挺することになった。

『軍隊と住民』日本評論社


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