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私の中の一期一会 №21 [雑木林の四季]

天皇陛下の執刀医~名医と名医の絆~

                           アナウンサー&キャスター  藤田和弘

天皇陛下の心臓バイパス手術で一人の心臓外科医が脚光を浴びた。東大病院から請われる形で手術に参加し、執刀医の中心を務めた順天堂大学心臓血管外科の天野篤教授(56)がその人である。
これまで天皇陛下の健康管理は東大チームが担当してきたが、今回外部の医師をチームに加えて手術を行うという異例の体制が取られたのである。あまり耳にしたことがない事態であることは確かだ。

先日高校の同級生達とソバを食いながら陛下の手術が話題になって、巷の噂話のような雑談になった。「エリート意識の強い東大がプライドを捨てて(?)まで順天堂に主役を譲る形になったのは余程のことだぜ」「宮内庁が本当のことを言う訳がないよ。天皇陛下の健康状態は言われているより深刻なんじゃないのか?」という具合だ、ちょっと酒も入っていたから役人への不信感も吐露されたような気もする。きっと他にも同じような疑問を持った人がいるのではないかと思っていたら、今週発売の週刊誌の広告に「新聞・テレビが報じない本当の話、手術は成功したが・・」とか「実は安心出来ない健康状態」というキャッチフレーズが踊っていて、やはりな・・と思わずにいられない。しかし裏の事情などは全て週刊誌にお任せするとして、私は個人的に「神の手を持つ」世界的なスペシャリストとしての天野篤教授に興味を抱いたのである。

まず新聞記事によれば、陛下の狭心症は昨年2月よりやや進行していた。投薬、カテーテル、バイパス手術の三つの治療法が検討され、78歳と高齢の陛下には身体の負担にはなるがバイパス手術が最善と結論づけられたのだ。カテーテル治療のほうが身体への負担は軽いが、ステントを入れても別の場所がまた詰まる可能性があるというのならそういう選択になるのは当然だろう。

以前にバイパス手術を受けた友人が「ここから血管を取ったんだ」と自分の足を見せてくれたことがあったが、足などの静脈を切り取って使うのがバイパス手術だと私は認識していた。しかし天皇陛下の場合は違うのだ。胸骨の裏側に左右一本ずつある「内胸動脈」をはがして使うとのこと。静脈ではなく「動脈」を使う話は全く知らなかったのでちょっと驚いた。さらに今回は、身体の負担になる人工心肺を使わないうえ、心臓を停めずに手術する「オフポンプ」の手法で行うと知ると、やはり外科医なら誰でもいいという訳にいかない高度な技術を要する手術なのだと分かった。我々庶民も同じようにやって貰える手術かどうかは定かではないが、東大チームとしても面子などに拘っている場合ではなく、超一流と定評がある天野教授の腕が必要だったに違いないことが推測出来る。裏の事情などは、もうどうでもよくなってしまった。

天野篤教授は父親が心臓弁膜症で手術を受けたことを機に心臓外科医を志し、3年間の浪人を経て日本大学医学部に入学している。卒業後は大学病院内でのエリートコースを歩まず、バイパス手術の受け入れが多い千県鴨川市の亀田総合病院や松戸市にあって心臓では評判の高い新東京病院など民間病院で「手術の腕」を磨いた。一人で年間400件もの手術を手掛けたと聞くと「凄いドクターだ」と敬服する他はない。1日5件も6件も朝から晩までやっていたとテレビでも報じていたから半端な医師ではないことが分かる。また新東京病院時代に、日本一の外科医と言われ「神の手」を持つ名医須磨久善(心臓血管研究所付属病院のスーパーバイザーで、テレビ朝日のドラマにもなった)先生の指導を受けていたと知って、それがポイントだなと思った。

須磨久善先生は大阪医大卒業後アメリカ ユタ大学の心臓外科に留学して最新技術を学んだ。1986年に世界に先駆けて胃の内胸動脈を使った冠動脈バイパス手術を開発して世界的な業績を残している。帰国してからも、バチスタ(拡張型心筋症)手術を日本で初めて成功させるなど、誰もやらなかった新しい技術に挑む医師として知られている。テレビの「プロジェクトX」にも登場したから顔を知っている人も多いだろう。

その須磨先生が天野教授を「のみ込みが早く、教えたことを実戦するだけでなく、必ず自分のアイディアを加え工夫していた。手術のことを四六時中考えていたのだろう」と振り返っている。                                天野教授は須磨先生の自宅まで押し掛けて教えを請うほどの熱意と粘りで今の名声を獲得した人と言ってよいだろう。天才というより努力型の人だ。粘り強いのも3浪して医者になったことで分かる。
天野教授は兼がね「手術を受けた患者さんには必ず自分の足で歩いて退院して欲しい」と言っているそうだが、こういうことは患者の術後の状態に自信がないと言えない言葉だ。

今回大役を果たした後「普段通りの手術を普段通りにしたということです」と報道陣に胸を張ったのを御存知の方も多いだろう。このフレーズに私は痺れた。患者が天皇陛下だからと言って「何も特別なことをした訳ではありません」と平常心で手術に臨んだ心境を語っているからだ。お医者さんに限らず何をやるにしても平常心は基本だと気付かされる名言だと思うのだ。スパーマンでありながら奢ることのない天野教授の人柄が患者から大きな信頼を得る基になっているように思えて尊敬の念を深めた。

バイパス手術は細い血管同士を髪の毛より細い糸で縫いつける作業を、出来るだけ短い時間でやらなければならない熟練を要するものだ。動脈は高い圧力に耐える必要がある血管、ちょっと縫い損なうと血液が体内に噴き出して患者は死に至るだろう。ミスを許されない難しい手術を「あの先生は15分位でやってしまうこともあるらしいよ」というエピソードを共同通信の記者から聞いて「ホントかよ」と思ったたばかりだ。15分かどうかは兎も角、天野篤教授は日本医学会にとって貴重な存在であることは間違いない。

報道陣から手術は成功かどうかを問われた天野教授は「陛下がご希望されたご公務ないし日常の生活を取り戻されるという時点が、とりあえず成功ということを話題にいていい時期だと思うので、成功かどうかの判断は、まだやや尚早か思う。手術中に気になることは全くなかった」と慎重に答えているのも好ましい。
天皇、皇后両陛下は心から「ありがとう」と思っておられると思う。

実は、私は須磨久善先生の執刀によって大動脈弁を人工弁に置換する手術をして頂いた幸運な患者の一人なのである。この名医との出会いは思いがけないものであった。
68歳の時、杏林大病院で狭心症と診断され冠動脈2か所にステントを入れていたが、同時に大動脈弁狭窄症があることも分かって「いずれは手術するしかない」と宣告されていたのだ。
2008年の夏、事情を知っていた親友が私にセカンドオピニオンを強く勧め、自分の主治医である「おおたき循環器内科クリニック」の大滝英二先生を紹介してくれた。

大滝先生は丁寧な診察のあと次のように切りだしたのである。
「弁は切羽詰まった状況ではないが、74歳という年齢を考えると早目の手術に踏み切ったほうがいいと思う。手術は80歳過ぎでも可能だが術後の健康回復には長い時間が必要になる。早期手術を勧める以上、信頼のおけるドクターに依頼してあげる」と決断を促された。意を決して「分かりました。手術します」と言うと、小さな紙切れに「すま ひさよし」と書いて見せてくれた。余りの大物に嬉しいというより「信じられない」気持ちのほうが大きかった。事の次第を知った妻の第一声は「大変だ」だったのも懐かしい。

私は心臓血管研究所付属病院で須磨先生にお目にかかったが、初対面の挨拶は「握手」であった。不思議なもので、この握手で私の「迷いや不安」は吹き飛んでしまった。医師と患者の信頼関係が大事だとは聞いていたが、この時のギュッと握り合った手と手で「僕にまかせなさい」と「よろしくお願いします」の会話が成立したようなに思えるのだ。だから手術前夜もよく寝られたし、安心して手術台に上がった。

あれからもう3年以上過ぎた。人工弁は正常に機能していて「変だ!」と思ったことは一度もない。
「機械弁だから30年は大丈夫です」「そんなに生きていませんよ」・・退院前に笑顔の須磨先生と交わした会話であった。それから私は4カ月後にハワイへ行き、ソニーオープン イン ハワイを観戦したが何も問題は起こらなかった。帰国の日にオバマ大統領の就任式があり、オバマのTシャツを買って元気に帰ってきた。
     天皇陛下もきっと遠からず元気になられると私は確信している。


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chinokigi

笠井さん 
いつも有難うございます。
プロ野球は大袈裟に言えば一人の権力者に握られている不幸にもっと気付くべきです。特にセントラルは。
菅野家に、どうしても巨人にいかせなければならない事情があるのでしょう。
「裏金」ねえ、巨人は今迄たくさんやって来たことですけど・・私の友人で「絶対そうだ」と確信しているのが2人いましたよ。
巨大な権力も長期に君臨すると弊害が表れるもの、時代に合わなくなるからでしょうね。
いくら大物でも浪人はマイナスに決まっています。菅野が「制度を無視した我が儘な奴」というレッテルは生涯はがれないでしょう。江川がそうじゃないですか。来年確実に巨人に入れるかは神のみぞ知るです。その神のご意志に逆らった奴です、天罰が下るかも・・まあどうでもいいですがね。   
                                                   藤田和弘


by chinokigi (2012-03-07 02:59) 

笠井康宏

藤田さん、こんばんは。天皇陛下は胸水を抜いて、すぐにご公務復帰されては心配です。激務ですね。大事に至らない事を祈ります。
by 笠井康宏 (2012-04-10 22:48) 

笠井康宏

藤田さん、おはようございます。お体の調子は如何ですか?東大出身でも必ずしも素晴らしい医師とは限りません。天野教授、須磨教授は素晴らしいですね。東大エリートは何でも上から目線で、庶民の気持ちにならない様に見えます。藤田さんの大ファンの私からも須磨教授には大変、感謝しております。
by 笠井康宏 (2012-11-09 11:27) 

笠井康宏

藤田さん、おはようございます。昨日、天皇陛下が79歳の誕生日を迎えられました。心筋梗塞の心配があったので心臓バイパス手術に踏み切られたそうです。東日本大震災の追悼式に間に合うように希望されたそうで「ご心配おかけしました」と述べられました。私は胸水が溜まる事で心配をしていたのですが、経過も良好のようで以前のようにテニスのボールを打てるようになられて良かったと思います。天野教授にはあっぱれです。
by 笠井康宏 (2012-12-24 04:24) 

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