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雑記帳2012-3-1 [代表・玲子の雑記帳]

雑記帳2012-3-1

彌生3月は雛の月、手作りのうぐいす餅で春を味わいませんか

立川市のお隣りの小平市に、市立平櫛田中(ひらくしでんちゅう)彫刻美術館があります。彫刻家、平櫛田中が晩年を過ごした邸宅に展示館が隣接して建てられています。岡倉天心に師事し、昭和54年に107歳で亡くなるまで、制作意欲が衰えなかったといいます。満100歳の誕生日を前に、30年分の材料を買い込み、「六十・七十は鼻たれ小僧。男ざかりは百から百から。わしもこれからこれから」と言った、有名な逸話があります。邸宅の前庭には、その内の1本の樟が展示されています。幹の直径は2メートル。、数人の大人が手を拡げなければ囲めないほどの大きさです。

平櫛田中美術館正面.jpg

田中は、点心や西山禾山の影響を受けて、佛教や東洋の哲学に深く傾倒していました。展示されていた作品の多くが、小品ながら、田中のそれらの造詣の深さを示すものです。有名な「尋牛」もその一つ。自分の牛を探す老人が長い苦難の末にようやく見つけ、乗って帰ってくるという中国宋代の禅籍『十牛図』中の「尋牛」に因み、悟りの道を、牛を探す老人に例えたものです。田中が理想とする彫刻家としての姿勢があらわれているといわれています。

 2月下旬の雨の日、『広島第二県女二年西組』の関千枝子さんを、平櫛田中館に案内しました。ちょうど、市内の小学生が見学に訪れていました。田中が亡くなった後、作品と邸宅が市に寄贈されて、邸宅は記念館になっています。関さんは、身近に美術館のある子供たちは幸せだと、先生に引率された子供たちをちょっと眩しそうにながめていました。田中が慈しんだ記念館の庭園は、いつもなら梅が咲き誇る季節ですが、寒さに今年は花を見ることはできませんでした。

『知の木々舎』の創刊間もない時から連載が始まった『広島第二県女二年西組』は、間もなく終了します。「核無き世界をめざして」は『知の木々舎』にとって、大事なコーナーでしたので、終了後の相談もありました。関さんは、もうひとつ連載中の『死の影』の作者、中山士朗さんとの往復書簡を提案してくださいました。あのとき、広島にいた全ての人が、核の十字架を背負って戦後を生きなければならなかった。そして、60年が過ぎて、被爆者は高齢化し、次々に亡くなっていく。言い残して欲しいことは山ほどある。平成の今になって私たちは福島原発事故を経験し、広島は決して他人ごとではなくなりました。お二人の往復書簡は間もなく始まります。

◆私の所属するサークル「食とくらしと環境を考える会」では、市内の女性センターや東京都多摩消費生活センターなどの講座を通して、どこの台所にもある調理器具や食材、調味料を使って、さまざまなメニュー提案をおこなっています。3月の講座は「旅だちを祝う春の彩り御膳」。メニューは「彩り豆おこわ」「鯛のホイル焼き」「ブロッコリーの薄くずスープ」「小松菜の芥子和え」「うぐいす餅」の5品です。食材の野菜ははどれも立川産の旬のもの、春の気分があふれます。中でも「うぐいす餅」はあんまり簡単にできてしまうので感動するほどです。レシピをご紹介しましょう。材料は4人前。

ぎゅうひ生地:白玉粉60g 砂糖40g 水100cc うぐいす黄粉20g  あんこ160g

作り方:  
①あんこはつくっておき(市販品でもよい)、8等分に丸めておく。
②耐熱容器に白玉粉を入れて水を加えながら木べらでダマが残らないように混ぜ、砂糖を加えてさらに混ぜ、完全にとかしておく。
③ラップをかけて電子レンジで約3分間加熱する。
④取り出してラップを外し(横から蒸気を抜くように外す)、木べらで透明感がでるまでしっかりり練って、きな粉をひいたバット又はお皿に移す。            
⑤生地を8等分し、あんこを包み両端をつまんで形を整える。
⑥上からうぐいすきな粉をたっぷりかけて出来上がり。

食くら春の彩り御膳.jpg食くら春の彩り御膳2.jpg

おひな様.jpg

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