じゃがいもころんだ №17 [文芸美術の森]
ひとりぼっち
エッセイスト 中村一枝
「ひとりになったらご飯を作る気なんて絶対しないわよ」
夫を亡くした友だちが言った。
「だから出きあいのものとか、あり合わせの残り物、結局つい外食になったりよ」
そんなものかなあ、漠然と思っていた。
夫の足が不安定になり始めた頃から、それまで二階でとっていた夕食を階下の寝室に運ぶことにした。まわりの壁は本ばかり、後ろも本、前の机にはテレビ、そこにベッドが二つ置かれた部屋は、どう考えても、二人で食べる食事にはせますぎた。
朝は一緒に食べ、昼はまだ外出できた夫は外に出かけ、夜は酒好きの夫が階段で転ぶのをおそれ階下に運ぶ。そんなきまりが知らぬ間にできて、四、五年はたったろうか。
夕食を一人でとる習慣は当たり前になった。夫は五時を過ぎるとウイスキーを水割りにし十時過ぎるまでちびりちびりと酒をのんだ。
お酒を飲むと、ちょっとしたことでも癇にさわることがある夫は、テレビに熱中して夫の声の聞こえない私を大声で怒鳴ったりした。食事を一緒にしない老夫婦は別に仲がわるいわけではなく、時には新聞の面白い記事を二人でげらげら笑いながら楽しんだりした。結婚記念日、誕生日、というときは私がお盆の上におかずをのせて階下に持ってきて食事もした。
そういう生活が当たり前のように続いて、あるとき、彼が階下の部屋からいなくなってしまった。
ほんとうにひとりぼっちになった時私は如何するのだろう、夜、ぽつりと思ったこともあった。元々のんきな質だから、次の朝にはけろりと忘れていた。
あれから十一ケ月たつ。ある日突然、夫がいなくなった。あれよあれよと泣く暇もない内に骨になって戻ってきた。
「どうしてる?さびしいでしょう?」
「ごはん食べにくる?」
周囲のやさしさに私の方が途惑っていたりした。
本は勿論、洋服も下着も、何もかもあの時のままの階下の寝室である。小さな引き出しをあけると、カクヤス、酒屋の領収書がヒラヒラ出てくる。山のようなボールペンも、ティッシュペーパーの山も、テレビは机半分を占領していたので別の場所に移したが後はほとんど手つかず、そして二階で食事をしていると、やっぱり夫は階下にいていつものようにウイスキーをのんでいる。その感覚がぬけないのだった。
その代わり後悔ばかりがひとつずつ、ひとつずつ、ゆっくりやってくる。あの時作ったスープ、もっといい肉を多使えばよかったのに何でケチしたんだろう。私は毎日彼のために精魂こめて何を作っていたのだろうか。介護がいくらか必要になっても、おおざっぱで、乱暴な私を彼はあきらめて見ていたのかな。もっと何かできた、もっとやれた、そんなことがちくり、ちくりと胸を射す。
何故か今でも夜中に電波時計が鳴る、夫が設置しておいたものだ。それが鳴ると、彼の死などなかった気がしてくる。お墓に行っても彼はいないけど家に戻ると家にいてくれた気がする。そんなとき、胸の奥深い所でうずきみたいなものがつーと走ることがある。しゃべりたいなあ、顔みたいなあ、わあわあではないけれど涙がじわーっとわいてくるのだった。
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