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雑記帳2011-12-01 [代表・玲子の雑記帳]

暖かな日が続いて、気がつけばもう師走。国営昭和記念公園の銀杏が晩秋をいろどっています。

昭和記念公園秋.jpg

◆11月下旬、両国にある、小さな劇場、シアターX(かい)へでかけました。
毎年、この時期に、いずれもドイツ在住の、作家、多和田葉子さんと、ジャズピアニストの高瀬アキさんのセッションがあるのを楽しみにしているのです。多和田さんは、ご存知のように、ドイツを拠点に活動している芥川賞作家。国立(くにたち)の団地で長く自治会長をつとめ、『知の木々舎』に寄稿してくださっていた多和田栄治さんは、彼女のお父上です。高瀬アキさんは日本では知名度は高くはありませんが、東の秋吉敏子、西の高瀬アキといわれるほどに、ヨーロッパでは評価されているジャズピアニストです。二人とも元気なアラフィフティ。

舞台は、いつも、高瀬さんのピアノに、多和田さんの言葉あそびの詩の朗読を載せる形で進行します。
今年は、見る、観る、看る、診る、覧る、実る・・・と、「みる」という言葉を集めて楽しんだあと、原発事故を受けた「不死の島」に圧倒されました。
<「日本」と聞くと2011年までは同情されたものだが2017年以降は差別されるようになった>ではじまる同作品は、日本の外に居て復興を見つめる作家の、日本の将来を憂う内容でした。近未来、放射能に汚染された日本では、成長するこどもは、放射線能も分裂してふえつづけるので、次々に死ぬ。一方、放射能によって死ぬ能力を失った老人は、いつまでも生き続ける・・・・・全くのフィクションだと語っていましたが、怖いお話です。「日本は震災から先ず立ち直ることを先決にしているけれど、もっと未来のことを考える時では」というメッセージのようでした。

◆劇場の隣りに、鼠小僧次郎吉の墓があるので有名な回向院が、ビルに挟まれるようにたっています。
振り袖火事(ふりそでかじ)と呼ばれる明暦の大火(1657年(明暦3年)の焼死者10万8千人を葬るために、当時の将軍家綱の命によってたてられたのがはじまりです。のちに安政大地震をはじめ、水死者や焼死者・刑死者など横死者の無縁仏も埋葬するようになりました。あらゆる宗派だけでなく人、動物すべての生あるものを供養するという理念から、ペットの墓もあります。有名人の墓として、次郎吉の他、山東京伝、竹本義太夫など。 鼠小僧次郎吉の墓は、御利益にあやかろうと
、墓石を削る参拝客があとをたたなかったとか、今も受験生に人気があるそうです。

境内で目に付く大きな碑が力塚です。おりしも、大相撲福岡場所の最中でした。
1781年(天明元年)、境内で勧進相撲が興行され、これが今日の大相撲の起源となりました。1909年(明治42年)旧両国国技館が建てられるまで、相撲といえば、回向院相撲でした。力塚は、1936年(昭和11年)大日本相撲協会が物故力士や年寄の霊を祀るために建立したものです。

江戸三十三箇所観音霊場の第4番札所。法然上人800年遠忌の幟がたっていました。

◆『知の木々舎』に嬉しいメールがはいりました。送信者はパリ在住の嘉野ミサワさん。半世紀以上も前に単身パリへ渡って、「マリクレール」社の日本の責任者をつとめながら、フランスの放送や出版界で発信を続けてきた方です。その嘉野さんが、『知の木々舎』のことを面白がって、原稿をくださることになりました。『知の木々舎』には今、海外は台湾高雄、サンパウロから便りがとどいています。ここに新たにパリが加わります。どんなパリ通信がおくられてくるのか楽しみですね。

◆暖かな秋の後に訪れた師走です。一茶の句をひろいました。

  年の暮人に物遣る蔵もがな

  思ふ人の側へ割込む巨燵哉

  かれ芒かさりかさりと夜明たり

  朝霜に野鍛冶が散火走る哉


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三澤 洸(NHK国際放送 元英語アナウンサー)

嘉野ミサワさんに初めてお目にかかったのは、日本産業巡航見本市船がセーヌ川河口の港ルアーブルに入港した時でした。
パリから特別列車が運行されて、政府、経済界、マスコミ等が往復ワインを飲みながら交流した際でした。
by 三澤 洸(NHK国際放送 元英語アナウンサー) (2013-04-19 10:47) 

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