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昭和の時代と放送№15 [雑木林の四季]

昭和の時代と放送  №15
時間メディアの誕生
                               元昭和女子大学教授 竹山昭子

報時システムの変遷①
 では、ラジオ以前の日本人の「時」とのかかわりを、報時システムという点にしぼってたどってみよう。
 人類は長い間、時を計る器具として、日時計、水時計を使ってきた。日本でも水時計の歴史は古く、漏刻(ろうこく・水時計)を660(斉明天皇6)年5月に中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が初めて作り、民に時を知らせた。この漏刻は671(天智天皇10)年に大津京(おおつのみやこ)に移され、鐘や鼓(つづみ)を打って時を知らせた。(註1) 鐘や鼓が時報に用いられたことは『萬葉集』の「時守之打鳴鼓数見者辰爾波成不相毛恠 (トキモリノ ウチナスツツミ カソフレハ トキニハナリヌ アハヌモアヤシ)」(巻第11・2641)(註2)や、「皆人乎宿與殿金者打禮杼君乎之念者寐不勝鴨 (ミナヒトヲネヨトノカネハ ウツナレト キミヲシオモヘハ イネカカテニカモ)(巻第4・607)(註2)によって知ることができる。
 ヨーロッパに初めて機械時計が出現したのは13世紀で、修道院で最初に作られたといわれている。修道院のなかでは修道僧が一定の時刻に神に祈りを捧げるために正確な時刻を知る必要があったからである。
 この機械時計は鐘の音で時を告げた。14世紀前半にはフランス、ドイツ、イタリア各地の教会で機械時計が作られ、やがて教会内にあった時計は都市市民の前に公共用時計として登場する。(註3)
 公共用機械時計は教会の塔や市庁舎の塔に取り付けられ、1時間ごとに昼も夜も鐘を打ち鳴らし、都市の人びとに仕事の始めと終わり、食事の時間を知らせた。(註4)
 このヨーロッパに広まった機械時計は16世紀中ごろ、インド、東南アジアを経て、中国、日本へやってきた。(註5)
 最初に機械時計が伝来したのは1551(天文20)年、フランシスコ・ザビエルが周防国山口の領主大内義隆に献上し、キリスト教布教の許可を求めたときといわれている。
 機械時計が伝来したころの日本での時法(1日をを細分する)は不定時法(昼と夜とをそれぞれ6等分)で、自然のリズムにしたがった生活が行われていた。したがって、夏の昼の1単位時間は長く、夜の1単位時間は短い。冬はその逆である。つまり、日本では1単位時間は春夏秋冬、季節により長さが違っていた。この不定時法に則した和時計がさまざまな工夫をこらして作られており、「櫓時計」(やぐらどけい) 「尺時計」(しゃくどけい)「枕時計」(まくらどけい)などが時を刻んでいた。
 しかし、「時計の製作が困難で普及されない間は、どこかで標準の時計によって、太鼓か鐘で時を知らせる工夫をしていた。徳川幕府が江戸に城を築いてから、次第に繁栄する江戸の町が、時を必要としたのは、いうまでもない。江戸における時報は、江戸城内のものと、市中のそれと2種類あった。城内ではそれぞれ時計の掛りや太鼓の掛りの者がいて、時報を司(つかさ)どっていた。城中の諸行事や、城門の開閉もすべてこの太鼓によって行われていたのである」(註6)「この太鼓は、維新後数年間続けて使用され、明治5年に廃止になった」(註7)と、橋本万平は江戸城内の報時システムについて記している。
 ところで、精巧な細工の機械時計である和時計を持たなかった江戸の一般庶民に、「明け六ツ」「暮れ六ツ」といった時を知らせたのは寺々の撞(つ)く鐘であった。この寺鐘がどのくらい普及していたかは、坪井良平の研究によって明らかとなっている。それによれば、慶長末年ごろの梵鐘の数は、現在確認できるものだけで1085、その分布は江戸、京都などの大都市だけでなく、北は青森から南は九州・沖縄まであまねく普及していたという。(註8)
 さらに江戸時代にどうしてほぼ全国いっせいに鐘を持つようになったのか、どういう社会的ニーズに基づいて鐘がつくられたのかについて、角山栄は、「端的にいって、寺院の梵鐘は仏事用の鐘から、時の鐘へ、つまり時報という機能へ、鐘の機能の転換があったのではないか、いや機能の転換というよりか、元来あった時鐘としての機能が、社会的に強く要求される事情にあったのではないか」(註9)と、人びとの暮らしが規律ある時刻を必要とするにともなって時鐘による時間システムが拡大していったと推論している。
 そして、この時鐘が何を基準にして鳴らされたかについて、角山は、「つまり城鐘、時鐘といっても、その撞きならす鐘の時刻は、なんらかの形で時計による客観的な時刻が根拠になっていたのである」(註10)と、日本人が作り出した櫓時計、香時計(こうどけい)、枕時計、尺時計といった和時計が報時システムを支えていたとしている。

註1・『国史大辞典・7』「時法」 吉川弘文館  1986 P78
註2・佐佐木信綱編輯代表『校本万葉集・7』巻11、P188 岩波書店 1931 
      佐佐木信綱編輯代表『校本万葉集・3』巻4、P163 岩波書店 1931 
註3・角山栄『時計の社会史』中公新書 1984 P8
註4・前掲書(角山) P10
註5・前掲書(角山) P34
註6・橋本万平『日本の時刻制度』塙書房 1966 P157 
註7・前掲書(橋本) P159
註8・坪井良平『日本の梵鐘』角川書店 1970
註9.・前掲書(角山) P71
註10・前掲書(角山) P85
『ラジオの時代・ラジオは茶の間の主役だった』竹山昭子著 世界思想社 2002


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