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台湾・高雄の緑陰で№7 [雑木林の四季]

台湾便り

                                    コラムニスト  何 聡明 

 1972年以来日本と中華民国と名乗る台湾とは正式の国交はないが、過去の貿易、経済、技術、文化等の実務関係を維持するため、台湾で「亜東関係協会」、日本で「財団法人交流協会」が設立され、相互に在外事務所を設置する事を取り決め交流が続けられているが、交流の条件には台湾の主権や地位については触れていない。現日本国駐台湾代表斉藤正樹が去る五月に台湾のある大学に招かれて講演をした際に、「台湾の地位は未定である」と述べたことで馬英九政府の癇に触れ、斉藤代表は外交部に召喚されて厳重な抗議を受けたが、斉藤代表はそれは自分の個人的な見解であると釈明したにもかかわらず、馬政府の怒りは溶けなかったことは『台湾(3)』で触れた。

 その後も馬政府は斉藤代表のボイコットを続けたので、斉藤代表は与党の知日国会議員を通して馬政府との修復を計ったが効果なく、斉藤氏は稀にしか馬政府の高層政務官と交流ができず、馬総統との会見も間接的に2回あっただけである。

 日台関係の低迷を憂いた斉藤代表は遂に12月1日に辞意を表明したので、野党と知日派、親日派が日台関係に危機をもたらしたとして馬政府に強く反発した。馬政府は慌てて、斉藤代表をボイコットした覚えはないと釈明しているが、それは言行不一致に慣れた伝統的シナ政治文化に浸る馬政府の常套手段に過ぎない。交流協会の或る職員は斉藤代表は家庭的な理由で辞職を表明したのだと言うが、通常、代表職は2年から3年勤め上げなければならないのに、健康に問題のない斉藤代表が就任後一年四ヶ月で辞意を表明したのは尋常ではないことは明白である。

 野党以外に与党籍の立法院長(国会議長)王金平は斉藤代表就任中に台湾駐日代表所札幌分所が設立され、東京の羽田空港と台北の松山空港間の直行に同意する文書に日本と台湾が署名することになったことなどで、斉藤代表の業績を高く評価している。だが、今では斉藤氏の後任者の予測がされるようになっているので、氏の辞任は避けられないようだ。先日私は斉藤代表宛てに拙著『なにが祖国だ!』を贈呈し、その中に「斉藤正樹代表殿 台湾の地位は未定です。ご苦労様でした。」と書き加えた。

 12月5日に台湾で地方選挙があった。野党民進党は現有の県知事3席より1席増えて4席となったが、与党は13席を確保した。席次では野党にたいした伸びはなかったが、与党国民党は昨年の総統選挙の得票率58.45%より今回の47.87%に下落したことで失敗を認めた。野党は今回の地方選挙の得票率が45.32%に増え、2.55%の差で国民党の得票率に迫ったことで喜んでいるが、得票率は未だ半分を超えていないので喜ぶべきではない。心して来年12月の五都の都知事選挙に望むべきである。これからの台湾での中型と大型の選挙は台湾派の政党が中国志向の中国国民党に負けると、一歩一歩中国に併呑される恐れが強まるのである。
 


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