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公私日記№2 [アーカイブ]

 『公私日記』のことば①
 『坊っちゃん』(漱石)との用字の共通性(その①)
 

                                                公私日記研究会会員                 若杉哲男

 過日森信保氏が「『公私日記』と研究会」で紹介されたような経緯で公刊された『公私日記』が、その詳細な内容や記述から、近世農村史・文化史・女性史・民俗学・寺子屋教育・天文気象・用字用語など各分野から注目され、多くの考察・論究が存する。
 私も研究会発足後暫くして会員の末に加えていただき、爾来断続しながら江戸時代末の言語資料として『公私日記』に接して来た。
 その間に持った感想や得た知識を、気楽に断片的ではあるが書き連ね、その多彩な文章表現や用字用語の実態を浮かび上がらせたいと思う。

 昨年夏より秋にかけ2か月足らず宿病の治療のため入院生活を送った。その折旧知の鈴木真喜男氏より、〔大きな文字で読みやすい〕文庫本数冊と新書版『直筆で読む「坊っちゃん」』の差し入れを頂戴した。氏の体験に基づく御好意に感謝しながら、余り明るくない病室の照明のもとで何十年ぶりかで『坊っちゃん』と再会した。漱石の直筆原稿(のコピー)でその筆跡を辿るのは楽しいことであった。筆跡を辿ると言えば『公私日記』の流暢な行書・草書にいつも悩まされていたのであるが、両者に共通する文字の使用に気がついた。
① 現行の字体とは異なる「く・こ・た・な・れ」などの文字の「変体仮名」
② 「ねる」に相当する「寐」の字
③ 現在「縁側」と書くべき字を「椽側」としている
等である。
 毛筆で行・草書で書かれた候文体の『公私日記』とペン書きでほぼ楷書の口語文の『坊っちゃん』では見た目にはひどく印象が異なるが、仔細に検討すると、江戸末と明治期との時代差を越えた、共通の継続する書記習慣が存するように思われる。

 ①については、現行の字体が定められたのは、明治33年(1900)の「小学校令施行規則による。『坊っちゃん』はその6年後に発表されたものであるが、漱石は前掲の幾つかの仮名に、字源または崩し方を異にする「変体仮名」(異体仮名とも)を用いている。これらは『公私日記』の用字と多くの場合は共通する。
現代の出版物ではこうした変体仮名にお目にかかることは無いが、私は私より年輩の方の私信に何度も接したことがある。

② 「ねる」に相応する「寐」の字
『直筆で読む「坊っちゃん」』で秋山豊氏が「自筆原稿を読む楽しみ」で「寝室」を除いて〔「ねる」に「寐〕の字を用いる癖がある(文庫などはみな「寝」に直すが、意味は同じでも異体字ではなく別の文字である)〕(同書42ページ)と指摘し、漱石の「書き癖」とされている。
『公私日記』でも「朝寐・昼寐」(天保12年巻末・流行の苗売)・「寐汗」(安政5年5月16日認)・「同寐」(嘉永7年閏7月8日)〈この語、辞書に見当たらず〉など、私が気付いた字体はすべて「寐」である。これも「書き癖」と断じてよいであろうか。

③ 「縁側」と「椽側」に関して、『坊っちゃん』では「椽側」が2回、「椽鼻」(縁端の意)が2回用いられ、「因縁」「茶碗の縁」などとは異なる字である。
『公私日記』では「竹椽」(天保11年8月18日・19日)・「椽側」(嘉永4年8月6日)・「椽之下」(嘉永7年3月20日)・「はま椽」(安政3年12月29日)などが目につく。唯一の例外は、江戸城の「御白書院縁頰」(天保12年9月7日)である。「縁」の例は挙げるに遑が無い。
「えんがわ」の場合の「椽」を用いる点では『公私日記』と『坊っちゃん』が全く同じと言っても差し支えないであろう。
「椽」は呉音・漢音とも「テン」で、訓は「たるき」である。

 以上のような読後の感想(『公私日記』の用例は別として)を鈴木氏に電話で話したところ時日をおかずに最近の国語・漢和辞書の「えんがわ」の標出漢字表記の状況を知らせて下さった(内容について今は省略に従う)。更にお弟子さんの雑俳の用字用語に詳しい西譲二氏に話されたようで、西氏から雑俳(冠附)5種の「椽」と「縁」の使用状況を知らせて下さった。それによると〔今回の5種の文献につきましては使い分けがなされているように見えます。すなわち、現在いうところの「えんがわ」は「椽」、「関係・つながり・ふち」などを意味するものは「縁」というようになっています〕として、調査結果が添えられていた。

 鈴木・西両氏の御教示により、全く関係が無いような両書が、実はその背景に時代を超えて共通する言語意識・書記習慣を有していたと言えるように思われる(後に、同時代の辞書では、嘉永3年の『早引万代節用集』(高梨信博士の改編本による)に「椽側」が存するのを見出した。 
 


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