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ニッポン蕎麦紀行№3 [アーカイブ]

~「北厳そば」に生きて・北海道音威子府村~

                                  映像作家     石神 淳
        
    玄蕎麦(蕎麦の実)の生産量は北海道がダン突だ。国内の年間消費量は、ざっと12万ton。国内産2万tonのうち北海道産が約8千tonを占めるから、国内生産量の三分の一が北海道で生産されている計算になる。あとの10万tonは、中国、カナダ等からの輸入だから、日本の自然食を誇る蕎麦好きにとっては肩身が狭い。玄蕎麦は遠く戦国時代から、五穀から外された統制外の救荒作物や代用食として扱われて来た。歴史を振り返ってみると不思議な穀物だ。
        
    北海道中川郡音威子府村は、道内では、いちばん小さな村だそうだ。しかし、訪れた印象は広大にして自然が雄大だ。悠久の大地を縫うように、宗谷本線に沿って流れる「天塩川」は、アイヌ語で「流木が堆積する川」という語源だそうだ。安政4年(1857)、探検家の松浦武四郎が天塩から石狩上流への探索で、野営した筬島(おさしま)の地で出会ったアイヌの古老が語った「カイナー」の意味から、「北海道」の地名を発想したと伝えられる。天塩川沿いの平坦な畑から、どこまでも緩やかに連なる丘陵地帯のほとんどが北限の蕎麦の畑だ。初夏から秋にかけての田園風景は、バルビゾン派の絵画を思わせる鑑賞価値があるが、冬は2メートルもの積雪がある豪雪地帯だ。

  先ずは村役場を訪ねると、平日なのに人影がまばらだ。広い役所の片隅で数人の所員が働いていたが、あきらかに主の居ない机が異様に目立った。村の目抜き通りも人影まばらで、申し訳ないが、西部劇のゴーストタウンを感じさせた。天塩川沿いで何軒も見かけた、半壊した廃屋が夏草に埋もれ、生活の痕跡が生々しかった。農道の随所に「熊、出没注意」と、大きな看板がある。「ここは、熊や鹿が人口より多いんだよ」地元の人の言葉に、返答に窮し黙って頷いた。

コピー ~ コンバイン前 三好和巳氏.JPG  「北厳そば」(玄蕎麦商標)を生産する三好農場を訪ねたのは、厳蕎麦収穫期の9月中旬だ。初対面の挨拶もそこそこに、三好和巳さんが運転する大型トラックを夢中で追走した。巨大なコンバインが秋色の蕎麦畑に踏み込んで行く、限られた期間に、百ヘクタール余りの蕎麦畑を一人で刈り、二千俵余りの玄蕎麦を収穫する。果敢に大地に挑む男の姿がそこにあった。オートマチックにコンバインからトラックに移し替えた玄蕎麦を、乾燥工場に持ち込み、砂利やゴミを取り除き、水分の含有率を16%に乾燥させて出荷する。これも極めて重要な作業だ。勝負どころの収穫最盛期は、畑と乾燥工場の間を往復するだけで、ろくに風呂にも入れないし、中学生の娘さんの顔も見れない過酷な労働が続く。最近は、三好さんに畑を預け、離農して音威子府を去る人もいるとか。高齢化の波がここにも押し寄せていた。個人の設備投資が大く、異常気象の影響や価格競争も激しい。

  三好さんは、はじめての試みに、乾燥工場まえの広大な畑に菜種を巻いた。バイオ燃料の時代を睨んでのことか。それとも、大地に生きる男のロマンだろうか。3日間の慌ただしい取材が終わって別れの時、二人の男は黙って握手した。とうとう酒を酌み交わすユ余裕もなかったが、秋風が心地よかった。春には、菜の花が真っ黄色な絨毯を野辺を敷きつめただろうか。そして今年も、広大な蕎麦畑に、真っ白で可憐な花が咲き乱れる季節がやってくる。
       
         三好農場(三好和巳) 北海道中川郡音威子府村咲来   

     ( 写真はコンバインの前の三好和巳さん )                         


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