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今日に生きるチェーホフ№4 [文芸美術の森]

「シベリアに桜咲くとき」                                                     抑留描く演劇、ロシア人が初公演

                            神奈川大学名誉教授    中元信幸

SN3D0259.JPG 旧ソ連の独裁者スターリンが第2次大戦後、約60万人もの日本人を不法にシベリアに運行し、極限に近い苛酷な状況のなかで強制労働させた。シベリア抑留を描く演劇が、さる5月29日、ロシアで初演された。
 この演劇は『シベリアに桜咲くとき』。イルクーツクの作家ネリー・マトバーノワ(ブリヤート人)さんが、日露の和解と協力の出発点になればと願い、日露合同公憤をめざし、10年ほど前に一気に脚本を書き下ろした。明石市在住の元抑留者・山下静夫氏の画集『兵士の記録 シベリアの物語』(1993年刊のロシア語版)を原本に用い、元抑留者で民族学者の加藤久詐氏の『シベリア記』(1993年刊のロシア語版)なども参照した実録ものである。日本では抑留者の体険記録も数多く出ているし、抑留を措く演劇・映画も珍しくないが、ロシアではこれまで、抑留問題は、歴史の負の遺産とみなされ、公然と語られてこなかった。このところ過去の歴史を見直す機運が生まれ、西シベリアのミヌシンスクで、日常の友好親善・相互理解の「桜」の 蕾が開いたのだ。

 「抑留を初上演」のことをロシアのマスコミは即刻、大々的に報道した。6月1日朝のNHK「おはよう日本」「ニュース、6月10日のNHK衛星第1の「きょうの世界」が特別番組を組み、話題を集めた。傍田賢治NHKモスクワ支局長らが、イルクーツクやミヌシンスクなどで広範に現地取材した充実した番組である。
 今回の日露共同プロジェクト学術コンサルタントとして私は、クラスノヤルスク地方当局に招かれ、クラスノヤルスクとミヌシンスクを訪れ、『シベリアに楔咲くとき』の初演に立ち会った。ゲンナーデイー・ルクシャ文化大臣はじめクラスノヤルスク各界の要人たち、ミヌシンスク市長らからは、日露共同企画の実現を願う熱い心意気が感じられた。最近まで外国人が立ち入れない地域であったためか、日本と友好関係を結びたい期待も強い。

 マトバーノワさんの脚本に熱意を燃やした有力劇団国立ミヌシンスク・ドラマ劇場芸術監督の著名な演出家アレクセイ・ペセゴフから、演劇公演を中心とする一連の日霹コラボレーションの協力依頼の手紙を受けとったのは2001年。クラスノヤルス地方当局の資金援助を受けたことから話が急に進み、昨年6月に同劇場で日本の俳優も参加して公演が行われることになった。

 2008年3月11付けミヌシンスク市公報を紹介しよう。「ミヌシンスク・ドラマ劇場が、第2次大戦後の日本人シベリア抑留者の生活をロシアで初めて取り上げると、ミヌシンスク行政府プレス・サービスが報じた。」「5月にドラマ劇場の首席演出家アレクセイ・ペセゴフは、社会的、創造的な要請の遂行に、つまり、ネーリ・マトバーノワの戯曲『シベリアに桜咲くとき』の演出に着手する。」「演劇評論家で日露演劇会議副議長の中本信幸と元抑留者で歴史学者の加藤久酢が、学術コンサルタントとして協力することになった。」「日本側との協定によって、日本の俳優たちがミヌシンスクの著名な俳優たちとミヌシンスクの舞台で共演する。ミヌシンスク市当局の見るところでは、日本代表団の訪問は、ヌシンスクのみならずクラスノヤルスク地方にとって重大な文化的かつ社会的意義をもつであろう。」

 日本側は、山下静夫さんの画集、日本人俳優による稽古の映像記録などの様々な上溝資料をミヌシンスク・ドラマ劇場に送った。複雑な入国手続きの遅延により、昨年の日露共演が日延べになり、今回、ロシア人俳優だけの出演で待望の初演を迎えた。抑留者と現地の人びとの心の触れ合いを物語る迫真の舞台であった。『日本とユーラシア』誌2009年7月15日号              (写真は『知の木々舎』で講義する中本信幸氏)


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すて

はじめまして。
ブログ名で失礼いたします。教えていただきたいことがあります。
現在、山下静夫氏の画集『兵士の記録 シベリアの物語』(1993年刊のロシア語版)の本は、入手可能なのでしょうか。
もし、可能であるならば、ぜひ読んでみたいと思っています。
教えていただければ幸いです。
by すて (2010-01-17 00:10) 

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