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こころの漢方薬№5 [アーカイブ]

  旅の効用              

                            元武蔵野女子大学学長 大河内昭爾

  ふらんすへ行きたしと恩へども
  ふらんすはあまりに遠し
  せめては新しき背広をきて
  きままなる旅にいでてみん。

 萩原朔太郎の「旅上」という有名な詩の前半である。この一節は旅が話題になるときよく引用される。昔とちがってフラソスへも容易に行ける時代になると、この詩が古びてみえるかというと意外とそうでもない。旅へのあこがれはいつの時代でもかわることがないからだ。この詩は旅への空想をここちよく刺激する。
 旅に出るということは、日常の生活環境から脱出することだ。平生の習憎的生活から解放されることである。旅を新鮮にするか杏かは日常からの脱出いかんにかかっている。
旅の上手とは、ホテルの予約や日程の組み立ての手ぎわのよさ以上に、日常からの解放という心の切りかえの上手な人をいうのであろう。風景の変化や食べものなど心の切りかえの手がかりは、旅そのものにあるが、旅の行く先々どこにでもころがっている。五木寛之氏の『ちいさな物見つけた』(箕社)という本の帯に「旅が百倍娯しくなる。人生が百倍愛しくなる」としるされていた。旅先で求めた「小さな物」のひそかに語りかけ訴えてくるものを作者はみのがさない。ストレス解消と称して人が買い物にいそしむのはごく一般的なことだが、「ちいさな物見つけた」のようなモノの言葉に耳を傾け、手にさわり、手にとってモノのすがたをいとおしむような買い物でなければ、旅情を慰め、旅情をよみがえらせるよすがにはなるまい。たとえば、陶器のひらたい四角な函の蓋に、なんともいえず風情のある葛の花を描いた朱肉入れが紹介されている。それは「蓋の四隅のなだらかに落ちた肩の線もじつに美しい」という文章どおり、小粋な朱肉入れの写真がそえてあった。「肩書きも箱書きもいらない。あるがままで美しいものに出合うとほっとする。野の花のようなそんな作品が僕は好きだ」と作者はしるしている。そんな小さな物との出合いも旅のよろこびにはかならない。
 そういえば、吉行淳之介氏に「街角の煙草屋までの旅」という心にくいタイトルのエッセイがあった。「旅」という一字のもたらす空間のなんと多様なことか。『こころの漢方薬』彌生書房


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