立川市長20年の後に№2 [アーカイブ]
平井川の彼岸花
前立川市長 青木 久
私は幼い日々のことをはっきりとは憶えていない。でも、眼を閉じて思いをはせると、よみがえってくる感触がある。それをなんと言葉にしてよいのか。脈絡のあるようなないような短い言葉がつぎつぎと浮かぶ。
*
それはぼんやりと滲んでいる
私は、小さな紅色を憶えている。緑のなかのいくつもの紅色だ。
ゆらゆら揺れていた。
私は背負われていたのだろう。
頬を風が撫でていた。
水の流れがあった。水の中からわき出てくる無数のざわめきを聞いていた。
「ねんねんころりよ、ねんねしな……」
「お母ちゃん」の声だ。今も耳に灼きついてる。
「おかあちゃん」
「あいよ、ちゃっちゃん、何がしたいの」
「トリ」
「そうだよ。トリだよ」
「お母ちゃん」は、「トリ」と言った。
そして私は「ちゃっちゃん」と呼ばれていた。
*
薄暗い空間に人の気配がする。
火が燃えている。
温かくくるまれていた。
柔らかな手触り。
むしゃぶるように吸い付いた乳房。
「お母ちゃん」のじゃない。
でも浸される充足。
瞼がしまる。とろけるような開放感。
小さな乳房。
大きな乳房。
いくつもの乳房のおぼろげな記憶がある。
*
私が5歳になった ある日の朝。
いろりを囲んだ食膳で家族のみんなが奇妙にかしこまっていた。
ばあちゃんが私を見つめ、
「ちゃっちゃん、今日からお前は砂川に戻るんだよ」
言い終えるなり、ばあちゃんは肩を揺すって泣き出した。
「お母ちゃん」も、涙をぬぐっている。
「ちゃっちゃん、出かけるよ」
私は手を引かれ、長い長い道のりを歩いた。
いくつもの大きな木が道に並んでいた。
とある一軒の家へ入る。
室内に坐っていた一人の女性が、私を抱いた。
「ちゃっちゃん、大きくなったね。お母ちゃんだよ」
その人の涙が、私の顔にも落ちた。
私は驚いた。私はその人の手を払いのけようした。
その人は、しっかりと抱きしめる。
私はもがいた。そばに「お母ちゃん」がいる。
「お母ちゃん」は、笑顔でうなずいている。
私には、まるで理解できない。
何かが崩れ落ちるようで怖かった。
だから大声で泣いた。
*
「トリ」ではない「お母ちゃん」は、真剣な顔で、自分が「お母ちゃん」なのだと語りかけた。なんどもなんども語りかけた。
私は乳飲み子から幼年になるまでの数年間を、西多摩郡多西村原小宮代田(現・あきる野市原小宮字代田)過ごしたのだった。
そこは「トリ」じゃない「お母ちゃん」の実家なのだという。「トリ」は、小学校の先生だった「お母ちゃん」の「教え子」で、「お母ちゃん」の代わりに「お母ちゃん」として私の面倒を見ていたのだという。
村の何人ものおばさんが、私に乳をふくませてくれたという。トリは娘だから乳は出なかったという。
「お母ちゃん」は、私を生んで間もなく、肺結核になったために、家族とは離れて療養していたのだという。
そして私が連れてこられた家は、連れてこられたのではなく、私の実家、つまり、北多摩郡砂川村二番組の青木家なのだという。
そんなことを言われても、私にはまるで理解できない。話を聞く度に、私は泣いた。そしてだんだんと私が事の次第を理解し、納得するまでには時間がかかった。
*
私が小学生になり、夏休みのある日、級友の砂川昌平君と連れだってお母ちゃんの実家に行った。そこには、手伝いに来ているというトリもいた。母親になったトリは、幼い子どもを背負っていた。
私たちは近くの平井川の川原へ出かけた。トリも一緒だった。
土手の上に、紅い花が群がって咲いてた。
「あっ、紅い花」
私はあの赤色に出会ったのだ。そしてこの村での暮らしとも……。
「そうだねえ、ちゃっちゃんの好きだった彼岸花だよ」
トリの顔が少しゆがんだ。トリの背中の子が、私のように思えた。
私もくちゃくちゃになった。
強い陽射しの中で、彼岸花は燃え立つように紅かった。
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