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今日に生きるチェーホフ№3 [アーカイブ]

日本でいちばん愛されるロシア人

                            神奈川大学名誉教授・演出家 中本信幸

  

  タガンローグを訪れた日は、あいにく博物館の休館日であったが現地の方々の格別のご厚意で、関連施設を観覧でき、歓待された。 没後一〇〇年記念カレンダー『タガンローグはチェーホフの故郷』では、チェーホフがサハリンで日本の外交官らと交歓する写真が使われている。サハリンで撮られたチェーホフの写真の大部分は公表されていたが、日本人と親しく交歓する写真は、ひさしく公開されなかった。「ロシアを代表する作家が、敵国日本の外交官と親しく付き合うとは、もってのほか」というわけだ。この写真の公表に先鞭をつけたのは、サハリンの新聞である (「ソビエツキー・サハリン」紙1981年10月17日付)。  

 チェーホフは、1890年、シベリア経由で遠路はるばるサハリンにやってきた。当時のサハリンは、樺太・千島交換条約(1875年)によりロシア領になっていた。帝政ロシアは一九世紀半ばから、流刑囚や移民を送ってサハリン島の開発にあたらせた。流刑囚たちの悲惨な実情を調査して、その「地獄」のような実態を明らかにしたのがチェーホフの 『サハリン島』である。チェーホフは、『サハリン島』でサハリンの開発に果たした日本人の貢献を強調するとともに、間宮林蔵の業績も高く評価しているのだ。ソ連時代のロシアは、間宮はじめ日本人の業績を無視してきた。1995年9月にユジノ・サハリンスクの国際学会(チェーホフとサハリン)で、ロシアの歴史家B・ポレポイが、基調報告「チェーホフが解明するサハリン開発史」で「日本人の貢献の過小評価」を反省した。 

 韓国で初めて催された国際学会(チェーホフと現代)(10月23日、天安の檀国大学)も充実していた。ロシア・アカデミーのチェーホフ委員会議長Ⅴ・カターエフや、ヤルタのチェーホフ博物館長G・シャリユーギンに再会できた。この学会でD・カブスチン檀国大学教授は、報告「チェーホフと東方への旅」で、ロシア人研究者として初めて未開拓のテーマ「チェーホフと東方」をとりあげ、チェーホフが日本を愛し、交歓した日本の外交官を絶賛したことも強調した。学会のあとの交流会は、「チェーホフとアジア」という主題で多面的な国際研究学会を近々のうちに開催しょうという話で盛り上がった。   

 11月9日に国立サハリン大学で催されたチェーホフ・シンポジウムに出席し、その後、北サハリンのアレクサンドロフスクに二泊三日滞在し、コルサコフでは、旧日本領事館の跡地を突き止めた。 筆者にとっては五回目のサハリン訪問である。今回で三回目の訪問地アレクサンドロフスクでは、旧知のチェーホフ博物館館長T・ミロマーノフの案内で廃坑の町ドゥーエにも足をのばした。 

 一月前に就任したⅤ・ワシリエフ市長はじめ郷土史家らは、日本人の手になる墓や記念碑などの復元に意欲的に取り組んでいた。 市長は、稚内市が提案し、ロシア当局の反対で暗礁に乗り上げている「間宮林蔵像の設置」問題も打開したいと抱負を語った。 ミロマーノフは、1991年に亡き父とともにサハリンから重いチェーホフ像をバーデンワイラーに運んだときの苦労話をした。 バーデンワイラーの市長がその後、アレクサンドロフスクを訪れてチェーホフ像贈呈の謝辞を市民に述べたという。1992年にサハリンの彫刻家Ⅴ・チェボタリョフ制作のチェーホフ像がバーデンワイラーに設置されたことは、バーデンワイラーでもサハリンでも国際交流の誇らしい記念的事件として喧伝されている。 

 チェーホフの精神にのっとって、「民族的」ないし「国家的」エゴイズムを排して歴史の真実を明らかにして、ひいては国際親善を図ろうとする動向が、チェーホフゆかりの地域で定着していく気配だ。 

 休館日なのに、不意の客を歓待してくれたコルサコフ郷土博物館には、チェーホフが日本の外交官と交歓する写真が麗々しく飾られていた。 メリホボの国際学会でも、ロシアの研究者から、「いまだに信頼に値する伝記がない」、「外国の研究者のほうが、客観的な伝記を書けるのではないか」という発言が相次いだ。チェーホフ最晩年の事柄が、いまだに明らかになっていない。 

 チェーホフの亡くなった年に日露戦争が始まった。チェーホフは、日露戦争に、とりわけ日本の運命に人一倍注目していたのだ。亡くなる三旦剛に対戦国日本を「奇蹟的な国」と呼び、死の床で日本人について、軍神広瀬武夫の事件について口走る。拙著『チェーホフのなかの日本』(大和書房)で試みたように、チェーホフ最晩年の資料にあたって、チェーホフの実像があぶりだされるようになった。 チェーホフの人柄と作品の魅力は衰えず、国際親善の懸け橋になっている。                       
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