SSブログ

こころの漢方薬№4 [アーカイブ]

風邪の効用         

                                  元武蔵野女子大学学長 大河内昭爾

 

 野口晴哉という人の『風邪の効用』という本は、そのタイトルからしてなかなかユニークである。氏によると風邪一つ引かない丈夫な体というものはなく、それは単に「適応感受性」というものが鈍っているからにすぎないという。といってしょっちゅう風邪を引いているらしい私などが丈夫なわけはないが、風邪に効用があるという考え方が面白い。

一冊の本の中身はかんたんに伝えられないし、また野口氏の大きな業績だったらしい整体術というものについても私は無知だから、ここでふれる気はないけれども、風邪の効用という負(マイナス)をプラスに転換する発想に大いに興味がある。

 風邪というものは、治療するのではなくて経過するものでなくてはならない。(略)風邪を引くような偏り疲労を潜在させる生活を改めないで、風邪を途中で中断してしまうような事ばかり繰り返しているのだから、いつまでも体が丈夫にならないのは当然である。

という。

氏によると風邪も下痢も同じで、その処理が無理なく行われるか否かが、弾力を欠いた体にしてしまうか否か境だと説く。そして「治ると治すの違い」を指摘して、病気でさえあればあせって治すことばかり考え、体の自然というものを無視してかえって寿命を削ってはならないと訴える。

その野口氏もすでに亡くなったが、生前に氏の話を一度だけうかがったことがある。自家用のロールスロイスを渋滞の多い東京の街で走らせていると、大方調子が悪くなり、たまにそれを高速道路へ持っていって性能十分の速力を出しきるようにすると本来の調子なとりもどすという小気味のよい比喩だけ記憶している。もちろん『風邪の効用』には治療の具体的な方法がのべられているのだが、私には「寝相が悪いというのは、疲労を恢復するための活元運動のようなものだ」といった発言の方が面白かった。何しろ私たちの医学的な常識がいろいろ否定されるのが刺戟的である。

 つまりそれは病気を介して心身の自然体を回復し見いだすということのように思える。風邪を効用としてとらえていく考え方は、仏教の「対治と同治」ということでいえば、同治(同事)という東洋的な方法に属するものであろう。それは病気を退治(対治)するものとしてではなくて、体の自然のリズムをとりもどすものとして受け入れるべきだと説いているのである。よくよくふりかえってみれば、われわれの日常には風邪の効用と同様の働きが、もちろん体だけのことに限らず、あらゆるところに、あらゆることに多くひそんでいるに相違あるまい。『こころの漢方薬』彌生書房


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0