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浜田山通信№1 [アーカイブ]

カギ屋の死         

                                     ジャーナリスト・野村勝美                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  

 「知の木々舎」代表の横幕玲子さんからウエブマガジンをだすので 「浜田山通信」を書けとの話があった。私が以前「とうきょう浜田山発」という個人通信を出していたのを誰かからお聞きになったらしい。「浜田山発」は手書き原稿をコピーして、友人、知己150人ほどに郵送していたものだ。最初が98年3月で最後が01年11月、通巻26号。03年に復刻するつもりで「浜田山発2」を一号だけだして心筋梗塞をやり中断した。年齢にして69歳から74歳まで。毎号年をとったこととボケたことのグチがぐだぐだと並んでいる。それが今やこの6月で80歳だ。先輩でがんばっていたのは、加藤周一さんと、今も健在な鶴見俊輔さんだけ。この二人は超天才である。冗談やめてくれといったが、こんどは学校で同期だった鈴木茂夫天才が出てきて、今こそ熟年者がものをいわねばならぬ、「浜田山発」は休刊中なんだろ、書けと命令する。

 たしかに同年のなだいなださんは老人党を作ってがんばっている。しかしあれは特別だ。だいいち、プラトン、ソクラテス、孔子に孟子、ブッダにキリストどれほどの先賢先哲がすばらしい思想、哲学を説き、教え諭してきたか。人間はいぜんとして、強きは弱きをくじき、弱きは強きにおもねり、世の中一向によくならぬではないか。

 しかも私めは、パソコン、ケータイを持たず、近頃は地上波のテレビさえ見ない世捨て人、何か書いてもキーボード(というのか)をどなたかにたたいてもらわねばならぬ。とか抵抗しているうちに、大江健三郎さんが“意見としての希望”なんてことをいっているのを思い出してしまったのが運のつき。

 では何を書くか。「浜田山発」のコンセプトの一つは、浜田山という大都会の片隅から見た現代世相だった。散歩くらいしかできない老人にはマイナーな地域から世の移り変わりを記録するのも良いかと思ったのだ。

 少し旧聞だが、駅前の西友パート2が閉店した。この店は昭和50 年代の後半から続いたスーパーで、閉店時には日曜大工、園芸関係の商品を販売していた。その一角に一坪ほどのカギ屋が入っていたが、この人は60歳で仕事を失い、大晦日に首をつって死んだと、同じく、この店のテナントだった人が、一週間ほど前に聞いたと話してくれた。昨年の自殺者数32.349人の一人だ。


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