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浦安の風№1 [アーカイブ]

 青べかの街は今 

                                ソーシャル・オブザーバー 横山貞利

 浦安・・・・あなたは、どんなことを連想しますか。70歳前後の方たちは“青べか”を思い浮かべるでしょう。もっと若い団塊の世代以降の人たちは、“トーキョー デイズニーランド” でしょうか。そうなんです、浦安というところは、全く異なる二つの貌をもった若い市街地なのです。歴史的にみますと、堀江、猫実(古くは真)、当代島の3集落が合併して浦安村ができたのが1889(明22)年のことです。

 「青べか物語」の著者・山本周五郎が浦安村に住み着いたのは、1926(大14)年から1929(昭4)年迄で、その頃は“沖の百万坪”といわれた辺りは魚介類や海苔などの豊かな漁場だったようです。

 ところが、1958(昭33)年に「黒い水事件」が起こりました。これは、本州製紙江戸川工場(当時)がダンボールの漂白に使った汚水を放流したため、怒った漁民たちが抗議行動を起こして警官隊と衝突する事態になったのです。

 この事件をきっかけにして水質保全法と工場排水規制法が成立し、本州製紙側は漁民に補償金を支払いました。しかし、漁業は不振がつづいたため、漁民は漁業権を放棄せざるを得なくなったのです。そして、1964(昭39)年から埋め立て工事が開始され、1970(昭和45)工事が完了して現在の形の浦安になったのです。

 ところで、“浦安”という地名は、初代村長の新井甚左衛門が「浦(海)やすかれ」という言葉に「心やすかれ」の願いを込めて名づけたということです。“浦安”の出典は「日本書紀・第三巻・神武記」の一説「昔、イザナミノミコト、この国を名づけて曰く、日本は浦安の国」とあり、「浦安は日本(大和)の古称・美称」ともいわれ、これに由来しているそうです。なんとロマン溢れることではありませんか。 

  浦安が町に変わったのは1947(昭22)年、町から市になったのは1981(昭56)年のことです。現在の浦安市は、面積17.29平方km、人口16万人強の小都市です。市内には、地下鉄東西線・浦安駅、JR京葉線・新浦安駅、舞浜駅の3駅があり、住民は都内への通勤者が多く、バブル期以降、不動産取引に当たっては“東京24区”と喧伝されています。四半世紀前にすみついた目からみますと、その変貌振りには隔世の感を覚えます。                                                    


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